唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

今年。

2013-12-26 13:47:48 | インポート
昨年11月、ドクターヘリで運ばれてそのまま入院。 劇症心筋炎(好酸球型)と診断され人工心肺をつけて麻酔で眠らされ18日間集中治療室にいた。 ICUと言っても田舎の病院なので無菌室でも無く、誰でも通れるナースステーションの隣の処置室みたいな所に。 本当に多くの方に懸命に処置していただいたようで奇跡的に生きていた。 点滴の針は全身に約50本、両腕、両足はもちろん、大動脈、手の静脈、首、胸、胸骨の所、ほとんど刺せるところはすべて刺さっていたらしい。 大動脈バルーンパンピングをはずす時は血管外科の先生に手術をしてもらったが、移動のエレベーターにベット周りの装置が多くてなかなかはいらなかったと聞いている。 ステロイドの大量投与、不整脈を抑える薬、心臓を動かす薬、麻酔、モルヒネなど多くの薬が使われた。 心停止からAED,心臓マッサージで回復。 炎症を抑える為白血球を限界まで減らしたため肺炎併発、 肺に血が溜まり2ヵ月後位まで大きな血痰塊が出ていた。
その後3月10日まで入院。毎週レントゲン、心エコー、心電図のセットで検査。 カテーテルは合計3回、4回目は埋め込み式除細動を入れるための事前検査で言われたが、さすがに断った。
退院後は満足に動けず、朝食作って食べるのもつらかった。 暖かくなり、体調も徐々に回復、5月にはお世話になった方々にお礼に行けるまでになった。 その後なんとなく過ごす。 突然父の死の知らせがあり、その後は葬儀と、供養、法事。秋になり、雪が降り始めて一年が終っていく。


 自分に何が出来て何が出来ないか? 自分の限界はどの辺か? 
などを知っていると人生はうまくいくと思っていましたが、、、、そんな価値感が全く変わった1年でした。 
どうにもできないもっと大きな力に沿って生きることになっているような、
本当にちっぽけな存在がただ生かされているという感覚が強くなりました。
自力では到底近づく事のできない限界を経験させて頂きました。 今までで一番色々なことを経験し印象に残る一年となりました。 
 ただ、努力しないものには何も起こらない事も事実です。 肝に銘じて、できる努力を。
大切なのは日常と、エネルギーをためる努力。


分離。

2013-12-15 10:01:58 | インポート
マンション理事会で、自ら辞めていった前管理会社に意見すると、自分でも信じられないくらい感情の高ぶりが身体に表れる。 。自分でも気づかなかったが、よほど腹に据えかねていたのだろう。 辞めるといって来た会社をあまり責めるのもどうかと思って当時は黙っていたが、急に約束の違う話を持ち込んできて昔の話に戻った。 

 心臓がばくばくしてたかと思うと、今度は胃が痛くなってきた。 辛さのあまり、中座した。

自分には人を責めると、事の良し悪しに関係なく、不安感や恐怖感が発生して自らを痛めつけるような回路が出来上がっているような感じがする。 幼少時に、父、母から植え付けられた恐怖心と不安感が元にあり、その解消の手がかりがみつからなくて困っていた。

自室に帰って寝ていると、ふと 思いついた。
 以前に読んだ、性格は捨てられる。
 
今まで、父母への感情のコントロールに気を使っていたが、
 恐怖心や不安感を捨てればいい、父、母を捨てる必要はない。そうしてソフトを入れ替えやればいい。
以前は生きていく為に必要だった、強い恐怖感、不安感。子供は親に頼らないと生きていない。親が怒鳴ったり殴ったりして感情を吐き出している時は、子供が恐怖感を感じていることを実感しないと、怒りが増す。 それを避ける為のおびえが必要だった。 当時は必要だったが、今となっては邪魔をする。 これのみを捨てる、ということだと気がついた。

そして、もうひとつ。 最初は偽善でもやり続ければ本物になるという事。 恐怖心と不安感が自分の正しい行動を支えていた、うその正しい行動もやり続ければ本物になる。自分が本心から迷い無く、打算なく、正しい行動が出来る為に恐怖心、不安感が必要だった。

 恐怖心も不安感も今まで必要だったけど、もう必要ないから捨てる事にすればいい。 これは父母とは関係の無いことで父母を捨てることはない。

 多分、今までは父母を捨てるという選択肢しか持たなかった。 これが、道徳的に受け入れられず前へ進まなかった。
今度は違う。 今まで身に纏っていた、 恐怖心、不安感に怒りで反応するスーツを脱ぎ捨てればいい。

 怒りの感情に支配され、肉体的反応で自らを傷つける悪循環から脱出する。