方広寺は豊臣秀吉が、奈良の大仏を意識して天正14年(1586)から建てられ文禄4年(1595)に完成したお寺です。当時の大仏は高さが約19mあり日本一の大きさであったらしいです。何事も日本一を目指す秀吉ならではのエピソードなのですが、慶長元年(1596)の伏見大地震で倒壊したそうです。その後お寺の再興を徳川家康の助言により、豊臣秀頼と淀君が行うのですが、ここで有名な事件が発生します。

この鐘楼にぶら下がっている高さ4.2mの梵鐘がキーポイントとなりました。この鐘に刻まれていた『国家安康』『君臣豊楽』の文字にイチャモンをつけて、大阪冬・夏の陣が勃発しました。当時は既に徳川の時代となっていましたが、一般民衆には豊臣家の人気は凄いものがあったそうで、どうにかして豊臣家を潰そうと考えていたのでしょうね。まんまと罠に引っ掛かってしまったって感じなのかな~。『梵鐘』は三条釜座の鋳物師、名越(名護屋)三昌らによって慶長17年(1612)に制作。現在は国の重要文化財に指定されています。
創建当時は、三十三間堂を含む壮大な寺域を誇っていたのですが、当時の遺構としては鐘楼等を残すのみとなっています。
◆方広寺概要
天台宗
住所:京都市東山区茶屋町527-2
電話:075-531-4928
★この記事を読んで京都に行きたくなった方、一票よろしくお願いします
人気blogランキング 週間blogランキング

この鐘楼にぶら下がっている高さ4.2mの梵鐘がキーポイントとなりました。この鐘に刻まれていた『国家安康』『君臣豊楽』の文字にイチャモンをつけて、大阪冬・夏の陣が勃発しました。当時は既に徳川の時代となっていましたが、一般民衆には豊臣家の人気は凄いものがあったそうで、どうにかして豊臣家を潰そうと考えていたのでしょうね。まんまと罠に引っ掛かってしまったって感じなのかな~。『梵鐘』は三条釜座の鋳物師、名越(名護屋)三昌らによって慶長17年(1612)に制作。現在は国の重要文化財に指定されています。
創建当時は、三十三間堂を含む壮大な寺域を誇っていたのですが、当時の遺構としては鐘楼等を残すのみとなっています。
◆方広寺概要
天台宗
住所:京都市東山区茶屋町527-2
電話:075-531-4928
★この記事を読んで京都に行きたくなった方、一票よろしくお願いします
人気blogランキング 週間blogランキング