アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

日本人の末裔でしょ!名字が「ハポン(日本)」だもの

2021年04月15日 | Weblog
 スペインの「コリア・デル・リオ(アンダルシア州セビリア県)」には、「ハポン(japo'n:日本)」という姓を持つ人が830人おられるという。姓が、「ハポン」つまり「日本」ですから、当然日本と関係があるはず。
 1614年、仙台藩の伊達政宗の家臣支倉常長が率いる慶長遣欧使節が、コリア・デル・リオに滞在したわけで…ここまでは、テレビでも紹介されたりなどしたので、多くの人が知るところ。
 さて、ハポンさんたちが、本当に江戸時代初期に渡欧したサムライの末裔なのか?DNA鑑定を行い、日本との関係を探るプロジェクトが始まりまして(始まったのは9年前)。
 ハポンさんたち、DNAを調べなくても、日系人に違いないと思います。どうしてそう思うかって?スペイン人がわざわざ姓を、「ハポン」としますか?
 慶長遣欧使節は、どのくらいの期間コリア・デル・リオに滞在したかですが…「ヨーロッパに消えたサムライたち(太田尚樹著)」には…
 「往路の1614年10月に数日間滞在。ローマからの帰路には数ヶ月間滞在していた」と、書かれています。
 帰路の滞在は、「9ヶ月間」という資料もあります。使節は、スペイン国王から伊達政宗への親書が届くのをコリア・デル・リオで待ち続けていたわけですから、9ヶ月間の方が史実に近いような気もしますが…。専門に研究している人に逆らう気は毛頭ありませんがね。私の推測はぁ、やたら当たるんです…。
 滞在していた「数か月~9か月」の間に現地の女性と親しくなり、そのまま帰国しなかった使節の人たちがいた。これは、当然を通り越して、必然でしょう!
 彼らのうち、姓を持っていない人は、「ハポン姓」を、名乗り始めた。
 姓を持っていた人は、「ハポン」ではなく、自分の姓を名乗ったわけで、判明している人は、支倉六右衛門(常長のこと。常長と呼ばれるようになったのは没後)の護衛隊長であった、「ドン・トマス・フェリペ・タキノカフェオイエさん」。
 「この名前の、どこがその人の姓なんだ」って?「タキノカフェオイエ」が、「滝野嘉兵衛」。姓名込みで、姓にしました。こういうこと、何もおかしくないです。だけど、護衛隊長が、「拙者、日本には帰らない。コリア・デル・リオに残るでござる。結婚したのでね、ウフフ。警護隊長の仕事ですかぁ、六右衛門どの、自分の警護は自分でやれよ」…なかなか無責任な方です。
 現地の女性と…そう簡単にいくかって?コリア・デル・リオの人口は、28,654人です(2010年の数字。今朝ウィキペディアで確認しましたが、2010年の人口しか書かれておりませんでした)。1900年には6,101人でした。それから、300年も前のことですから、1614年の人口は、200人前後だったと推測されます。遣欧使節は、コリア・デル・リオの娘さんたちに興味・関心をもたれたことは間違いないでしょう。
 一体、使節は何名で行って、帰国しなかったのは何名だったのか?
 インディアス総文書館(セビリア)の資料では…
 ローマからコリア・デル・リオへ戻った使節は、28名となっています。
 数ヶ月~1年後にかけて帰国が始まり、約20名ほどが帰国している。たった20人に「約」をつけなければならないのは、ファジィーすぎるかも知れませんが、当時はそんな感じだったのでしょう。
 つまり約8人が帰国していない。この8人の子孫が、このおよそ400年間に、830人になった。
 こういう話のことを、「夢とロマン」と、いうのでしょう。
 さて、DNA鑑定の結果は…
 「スペインのコリア・デル・リオ市内及び周辺に住んでいる約830名の「ハポン」姓を名乗る人々のうち、DNA解析希望者男性50名、女性51名から血液試料を採取した。
 「・・・ジャポニカ・アレイと呼ばれる日本人に特化された約66万個のゲノムワイドなSNPs解析を行った。その結果、日本人に由来すると考えられるY-STRハプロタイプは観察されず、また、ゲノムワイドなSNP解析からも日本人に由来すると考えられる結果が得られなかった。今後、新しい手法による解析が期待される」
 ・・・そうでしたか…。でも、きっとそのうち「ハポンさんたちは、日本人の子孫であることが解明されましたぁ!」となるね。
 なぬ?「コリア・デル・リオは、韓国と関係があるのか」って?「Coria del Rio」ですから、「Korea」とは関係ないと思いますよぉ

コメントを投稿