アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

2025 箱根駅伝 MVP

2025年01月06日 | Weblog
「箱根駅伝のMVPは?」という長男からの質問。駅伝のMVPは、言うまでもなくタスキを繋げた「全員」です。で、アンティークマン流に印象に残った人は…。

 真っ先に、挙げたいのは八田秀雄先生ですねぇ。
 関東学生連合選抜チームの8区は、東大生(秋吉拓真選手)。9区は、東大大学院生(古川大晃選手)でした。いわゆる「赤門リレー」。

 9区の東大大学生の給水係が、65歳の東大大学院教授の「八田秀雄先生」でした。
 八田先生は、運動生理学が専門分野。おそらくその分野で知らない人はモグリでしょう。モグラではない。
 なぬ?どうしてアンティークマンが、そんな高名な学者さんを知っているのかって?
 実は、知り合いが医学博士号を取得しまして、私に報告してきました。「本当かよ?」と、ネットで検索してみました。本当でした。彼の名は、「八田秀○くん」。そのとき、八田秀雄先生のことを知りました。
 給水係の八田秀雄教授が、水のボトルを古川選手に手渡しました。無事役目を果たした八田教授は、ランナーの古川大晃選手を、ほほえみを浮かべて、両手を振って見送りました。

 これには、「俺たちの箱根駅伝」の著者、池井戸潤さんが反応。東大陸上部OBの国民民主党の玉木雄一郎代表も反応。

 八田先生の素晴らしさは、これだけではありませんでした。古川選手が道路脇に捨てたペットボトルを、拾いに走ったのです。中継のテレビにも、その様子が映し出されておりました。品がありますよ!MVPですよね!

 私の家に最も近い大学は、中央大学です。駅伝部が練習しているのを観ることもあります。何しろ今年は、八王子市から、中央大、創価大、帝京大、法政大の四校が箱根駅伝に出場しました。
 さて、1区区間賞は、中央大学の吉居駿恭選手でした。区間賞の選手へのインタビューの最中、テレビ解説中の兄「吉居大和選手(トヨタ自動車 元旦のニューイヤー駅伝1区3位)」と話す機会がありました。
 このときの会話がSNSで高評価。私も、「いい兄弟だなあ」と、思いました。
 で、会話も良かったですが、1区で飛び出した弟の吉居駿恭選手が良かったです。区間記録には届かなかったですが、区間賞を獲得。2位の駒澤大学に1分32秒の差を付けました。 この差で中央大学は、5区の途中まで1位でした。凄かったぁ!

 三校が併走しておりました。そこへ突如現れた大学が三校を一気に抜こうとしました。三校の中の一校の選手が、驚きの表情で、抜き去ろうとした選手を観ました。実況のアナウンサーが…
「(抜かれそうな選手が)ビックリしました!」と、叫びました。
 私は、「そんな実況ってあるんかいな?」と、思いました。すると、実況のアナウンサーが繰り返しました。
「ビックリしました!」
 しっかり画面を観ていない視聴者には、何がなんだか解らない。このアナウンサーにもビックリしましたよ。

 青山学院大学の9区、田中悠登選手(4年)。給水係の片山宗哉さん(4年)がペットボトルの水を持って近づきました。片山さんは、水を2本持って並走し、田中選手に1本渡すと、自らのボトルとぶつけて乾杯!並んで口をつけた。この場面までに、4年間大変な艱難辛苦があっただろうあなあ…。

 我が家から、3kmほどのところに、東京薬科大学があります。東京薬科大学といえば、「ケツメイシ」。漢字では、「尻名刺
(けつめいし)」ではなく、「決明子(けつめいし)」。
 薬草の名前なのだそう。決明子の効用は、便秘解消。ミュージックグループ「ケツメイシ」の名前の由来は、この薬効になぞらえて「全てを出し尽くす」という意味が込められているぅ…と思われます。つまり、志村けんですね。意味が分からない?「脱糞だ(ダッフンダ)」ってことで。

「ケツメイシ」のリーダーの大蔵さんの長男が、国学院大学2年生の、吉田蔵之介選手。今年は、アンカー区間の10区に登場。総合3位でゴールイン。自身も、堂々の区間3位でした。全てを出し切ったかな。

 往路連覇を飾った青学大は復路では1度も首位を譲ることなく、大会新記録で総合優勝。原監督は胴上げで8度宙を舞い増した。そのとき、原監督は、奥様の美穂さんを歓喜の輪へ引っ張り込みました。寮母である奥様の美穂さんも、胴上げされました。内助の功、寮母の功(?)が祝福と感謝の花火のように打ち上げられました。

 5区の山登りで激走、区間新記録をマークした、青山学院大学の若林宏樹選手(4年)。若林選手は、大学で競技生活を終えるという。就職先は、日本生命。青山学院大学から日本生命への就職、結構おられるかと。実は、我が家の次男坊も、同じルート。次男坊は、駅弁は食べますが、駅伝はしておりませんでした。

 今朝も、ブログのリアクションボタンが復旧していません…。どうしたらいいでしょうかねえ。


繰り上げスタートまで0.01秒!

2025年01月05日 | Weblog
    箱根駅伝、ドラマの連続ですが、「いい意味で、ホントは失格じゃないのか?」という出来事がありました。今は、ダ~レモ、覚えちゃいないと思いますがね。
 それは、第88回大会のことでした。「古い」って?古くてもいいじゃないですか!書いている人間が古いんだもの。

 神奈川大9区の鈴木駿くんが、10区の鶴見中継所手前、20メートルで突然、転倒。その前に、フラフラしたり、蛇行したりなどはないように見えたのに、いきなりの転倒。
 テレビの前の私は、
「おーっ!ぎゃー!あれーっ、もう少しだー!」
 と、大声を出してしまいました。繰り上げスタートになるかどうかの瀬戸際だったのです。テレビの実況アナは…
「く、繰り上げスタートまで、あ、あと5秒ですーっ!ぎゃーっ!ぐえーっ!がぉー」
 と絶叫しておりました。鈴木くんはというと、立ち上がろうとはするのですが立てない。這うようにして…それでも進んでおりました。

1位が通過してから20分を過ぎた場合は、繰り上げスタート。
 10区(鶴見中継所)の白線には、9区のランナーが這って数メートルまでせまっている神奈川大。そのほか、東海大、日体大、上武大、学連選抜が並んでいました。
 係員はピストルを構え、繰り上げスタートの号砲の用意。繰り上げまで、あ、あと0秒・・・っ!

 神奈川大学はどうなったか?!
 鈴木くん、繰り上げスタート直前に、タスキ渡しに成功!
 渡した瞬間、電光掲示板は、「20分00秒00」に。
 劇的と言おうか、奇跡的と言おうか、繰り上げスタートを免れました。良かったです。

 鈴木くんは、「足に力が入らなくなり、何が何だか分からなかった」と。根性とか意識とかではなく、「本能」で走った(這った?)わけです。
 このような素晴らしい場面を見ることが出来た。これを幸福といわずになんと言おうか!
 
「いい意味で、ホントは失格じゃないのか?」
 このタスキ渡し時の出来事です。

 9区の鈴木くんからタスキをもらった、10区の高橋俊光くんなのですが、体を精一杯のばしてタスキを受け取ろうとしました。
 ラインから9区側の領域に、10区のランナーの手が着いてしまったり、足が出たら失格です。
 その時、鶴見中継所の係員が、思わず高橋くんの体を支えたように見えたぁ!
「手を着いたり足が出たりして失格にしてしまっては可哀想」 とっさに係員が高橋君を、10区側へ押しもどした?!
 こ、こ、これは、厳密に言うと失格か?その係員は、左手に10本ほどの(繰り上げスタートの学校用)タスキを抱えておりました。 
 私は、テレビを通してですが、「カラフルなタスキがおおきく翻ったところ」と、「係員の、何とかしなければという必死さ」を感じとりました。

 そのあとの関係者の毅然とした釈明が良かったです。
「走者ほう助ではないかとの指摘がありますが、駅伝は人が作るものなんです。私どもは、人として絶対公平に大会を進めております」
 実に気分がいい回答です。「駅伝は人が作るもの」そうだったのか!?ただ…よーく考えると、意味が解るようで、解らないけどね。
「駅伝の係員も人だから、ルールより人情だよ」と、いうことなら嬉しいですがね、

 このお正月も箱根駅伝から沢山の感動をいただきました。
 それにしましても、今朝もgooブログのリアクションボタンが復旧していないのですよっ。血圧の上が160です。gooスタッフの皆さーん!早く元に戻してよーっ!血圧じゃなくて、リアクションボタン!


箱根駅伝は競走だけにあらず

2025年01月04日 | Weblog
 箱根駅伝…お正月のぉ、否、1年の楽しみの一つです。この度は、勿論、予選会から勝ち上がった母校を応援しました。
 二男の母校は、2年連続の優勝。この11年間で、8回の優勝。楽しませて頂きました。また来年が楽しみです。

 青山学院大学が、シード校の常連ではなかったころの選手に凄い人がおりました。原監督がスカウトした選手なんですがね。高校は長崎県の有名進学校。
 彼は、2年生の時に、2区というエース区間で11人抜きを演じました。3年生の時は、9人抜いて区間賞。あの東海大学の村澤明伸くんまでを抜き去ったのですよ!

 現在、33歳。名刺には、中国電力のロゴが入っています。会社では中堅どころでしょうが、まだ選手を続けていてもおかしくない年齢ですね。学校は違いますが、一つ上には二代目山の神と呼ばれた柏原竜二さんがいて、一つ下には大迫傑さんがいる。
 大学卒業後は、原晋監督と同じ中国電力へ。マラソン日本代表を目指して競技を続けたのですが、まだこれからという25歳の若さで引退。引退の理由は、故障ではなく、「箱根で燃え尽きた」とのこと。

「そりゃあ、できすぎだ!」って?
 そうです。「できくん」です。「出岐(でき)雄大」くん。「出岐くん、出来すぎ!」(これを書きたくて、ここまで引っ張っりました!新年、初ダジャレ)
「くだらないダジャレだね!」と、言わないでね、お正月に免じて大目に見てくださ~い。

 箱根駅伝には、ドラマがつきもの。
 強烈な印象で、今も記憶が鮮明なのは、1991年の箱根駅伝…古すぎるって?だ、団塊世代なら十分記憶にあるかと。

 早稲田大学の1年生、「櫛部静二くん」が、花の2区を走りました。
 トップでタスキを受けた櫛部くんは、順調な出足ではありましたが…。体調不良に脱水症が加わったのか…中盤から大ブレーキ。靴紐は、ほどけたまま…。意識朦朧で走っていました。 次々と抜かれていき、タスキ渡しを目前にして、フラフラ。右に左に蛇行し、「夢遊病者」を観たことはありませんが、おそらく、こんな感じだろうと思われました。 
 立ち止まったり、歩きだしたり…。
 この時、駅伝ファンの100%、いや、日本人全員が、
「ガンバレ!櫛部!」
 と、声をからして応援したでしょう。立ち止まって、両手で顔を覆うなどの場面もありました。 

 はたしてタスキは繋がるのか!トップから14位に転落したところで、ようやくタスキ渡し成功!早稲田ファンでなくても、狂喜!驚喜!狂気…しましたぁ。それが日本人のいいところであり、駅伝ファンのスポーツマンシップだと思います。

 櫛部くん、今頃どうしているかなあと思ったら、なんと、城西大学男子駅伝部監督でした。城西大学は、この度の箱根駅伝に出場しておりまして、堂々の6位。強いですよ!
 箱根駅伝には、このように往年の選手が監督として箱根に戻ってくるのを見る楽しみもあります。

 櫛部静二くんを話題にしたのなら、花田勝彦くん、武井隆次くんも話題にしなければ不公平。花田、武井、櫛部は「早大三羽烏」と、言われておりました。オツオリ、マヤカといったケニア人留学生ランナーを擁する山梨学院大と覇を競った当時の早稲田大の中心選手でした。

 早稲田の花田勝彦くんは、現在は「早稲田大学競走部駅伝監督」。早稲田大学は、4位でした。次回の箱根駅伝、三強の一角を崩すのは、早稲田でしょう。

 早稲田大の監督は、渡辺康幸くんじゃなかったのかって?
 9年前に、早稲田大学競走部駅伝監督を退任して、住友電気工業陸上競技部監督を務めています。

 武井隆次くんは、箱根駅伝との直接的な関係は無くなっています。現役引退後、S&B食品監督や、早稲田実業高等学校陸上部コーチを歴任。現在は、すみだランニングサポートクラブで指導。そこには、将来的に箱根を狙える力を持つ中高生が所属しているという。「箱根を目指す教え子にはぜひあの舞台で活躍してほしい」と、武井くん考えているという。こういうのを夢とロマンというのでしょう。

 箱根駅伝、人間模様を見るのも面白いワ!
 私が、車椅子で、立川駐屯地~昭和祈念公園まで「箱根駅伝予選会」を観に行くワケも解っていただけるかと!


とりあえずフィンランドに倣うかぁ…? 

2025年01月03日 | Weblog
「小中学生、約29万9000人(22年度)」
 これって、なんの数字だと思われますか?
 不登校の数なのです。10年連続で増加しています。
 高校(全日制・定時制)の不登校生徒数は、6万575人。2年連続で増加だという。

 何度も同じことを書いてきましたが…、学力をつけると不登校は減ります。1日も登校しないで不登校になる子は、おりません。やむを得ない理由がある場合を除きますがね。

 OECD国際学習到達度世界一は、フィンランド。
 フィンランドに不登校は、いるか?
「不登校等の問題はほとんど無く、高校中退の場合はその後のフォローもしっかりやっている」(フィンランド文部大臣)

 フィンランドは、なぜ高い学力か?その答えは簡単で、「優秀な教師を育て、授業について行けない子どもを出さないから」 よって、子ども達は、不登校という手段を行使する理由がない。

 日本の教育と違うところは…
1 教科書に検定がない。教科書は出版社が独自に作成する。教科書の採用は、各学校または個々の教員。これは大切なこと。日本で取り入れるとしたら、「児童生徒個々によって教科書が違う」これこそ、個に応じた教育です。
 なお、日本の寺子屋は、学年もカリキュラムもなかった。正真正銘、個に応じた教育でした。極小規模校の教育について、「寺子屋方式」とかいう場合がありますが、本物の寺子屋に失礼です。

2 教員の勤務評定をしない。これによって、(校長と教員の)信頼関係が構築され、優秀な教員が確保できる…評定するか否かにかかわらず、教員には、高い能力を求められるということ。これは二面性がありますね。日本の場合は、「人事異動」があります。勤務評定は必要だと思います。

3 大学院で、修士号を取得しなければ教員にはなれない。これは、私が20年前に提唱したことと同じ。日本では教員養成の大学があるため、18歳でその大学へ進むか否かを決めます。
 つまり、「教職に就くかどうか」を18歳で決めなければならないような状況があるわけです。考えてみてください。18歳で、生涯の仕事を決められますか?!そのような、少々無理なルールになっているのが日本の教員養成。

 私の従来からの主張は、「教員養成は大学院で」ということ。つまり、フィンランド方式。
「教員養成大学から大学院へ進んで教員になる」
 それはもちろんそれでもいいです。もう一つの道として、
「どこの大学のどの学部を卒業しても、教員養成の大学院へ入ることができる。そこで教員の資格を取得する」
 全く畑違いのバックグラウンドを持って教員養成大学院へ入ってくる人の方が、「心の痛み」が分かる教員になる可能性が高いと私は思っています。

4 教職に就くための教育実習は、300時間以上。このあたり、はっきりした数字が出ているので、いかに日本の教員養成が「ヤワ」かがわかるところ。
 日本の場合、3~5単位分の教育実習に関して、1単位当たり30時間。つまり、合計90~150時間。
 ただし、3分の1までは、「大学内での実習や授業で代替できる」ので、実質60時間で済んでしまうケースも。こうなると、フィンランドの「5分の1」ですよ…。

5 教員の採用は、「各学校が独自に行う」。1年間は、仮採用。正式採用にするかどうかは1年後に決められる。

6 教員に転勤がない。定年まで同一校勤務。逃げ場がない。頑張り続けるか?はたまた辞めるか?

 これらのことは、日本もそっくり見習うことができると考えます。

 日本の教員養成、真剣に考えるところに来ているんじゃないの。小中高合わせて不登校36万人だもんね。

<お詫び>1月2日、明け方から突如「リアクションボタン」が機能しなくなりました。未だに復旧しません。読んで下さる皆様のブログにリアクションが出来ません(コメントも)。お許し下さい。今朝も、まだ反応しません…。


ブルドッグ似?自分の顔ですから大切にします

2025年01月02日 | Weblog
 新年を迎えまして、また年齢が増えました。おめでたいことです。
 世の中、自由・平等など無に等しい。数少ない平等の一つに、「老いること」があります。たまに鏡を見て、びっくりします。たるんでます・・・目の周囲、ほっぺた。
 正面を向いているときは、「こんなもんかな」と思いますが、下を向くと、地球の引力で、顔の肉類が垂れ下がります。ひどいものです。でも安心。誰にでも平等におとずれるものですから。「死なばもろとも」ということで…。

 たるんだほおの肉。「まるでブルドックだなあ…」。その重みに耐えられず、口の両端が下がり、「への字口」になっている。

 ブルドック…ブルは雄牛。ドックは犬。雄牛と戦わせた犬を「ブルドック」と名づけたのだそう。雄牛と犬の交配種ではなかった(心配しないでください。ボケのつもりですから)。
 一般的に闘牛は、「牛vs人」ですが、牛と犬の闘牛もありました(13~19世紀の半ば近くまで)。
「ブルベイティング」と呼ばれた競技で、つないだ雄牛に、数頭の犬をけしかけ倒させるもの(牛の鼻っ面にかみつく)。最初に牛を倒した犬の持ち主が高額賞金を受け取った。

 そうなると、望ましい犬は…
「牛の鼻に食らいついて離さない。しかもふりほどこうとする牛に振り回されても耐えられる。気性もどう猛なのが望ましい」 そのような犬が求められ、品種改良が重ねられた。

○ 牛に噛みついた時に、楽に呼吸ができるように、鼻がつぶれていて、鼻の穴が上を向くようにした。スノーケルの原理ですねコレ!
○ 噛みつく力を強くするために、下アゴを発達させた。
○ 牛の角に掬い上げられないように、短足にして体高を低くした。
○ 牛の角によるダメージを小さくするために皮膚をたるませた。皮膚のたるみって、こういう効果があったのかぁ!
○ 耳が大きいと邪魔なので、切った。
○ 牛に振り回された時の遠心力を小さくするため、首を短くして、重心を前にした。
○ 重い方が有利なので、大きくした(60kg前後にまで)。

 ブルドッグは、「勇気」「不屈」「忍耐」の象徴として、「イギリスの国犬」となっています。イギリス人(擬人化された典型的イギリス人像)のことを、「ジョン・ブル」というのも、ブルドックからきていると思います(私の推測ですがね)。
 また、ブルドックは、イギリス海軍のマスコットにもなっています。
 イギリス海軍だけでなく、アメリカ海兵隊のマスコットもブルドック。「しぶとく食らいつく」ということでしょう。

 アメリカ海兵隊のTシャツ・・・
 前面の絵は、斜に構えて、歯をむき出してにらむブルドック。
 背面の絵は、そのブルドックを後ろから見たもの。ほとんどお尻!ユーモアあるワ!私が持っているものは黒地で、ブルドックの絵はグレイ。「UNITED STATES」「MARINE CORPS」と書かれた文字は、白。ただ、背面の文字は、前面の文字を裏から見たように書かれています。たかがTシャツにも、ユーモアを忘れない…感心します!

世界中のマニアに愛好されているブルドックですが、イギリスで、「ブルドッグの認定基準」が変更になりました。
 認定基準があるのです!さすが、「イギリスの国犬」。

 ブルドックは、数奇な運命を辿っています。私の顔も数奇な運命を辿っていますがね。
 だけどぉ、自分の顔です。今年一年、大切にしなきゃあね。


おお、大砲

2025年01月01日 | Weblog
 新年を迎えることが出来ました。これも、ご先祖様がいらっしゃったから。有り難いです。で、元旦の今日は、ご先祖様のことを…。

 高取藩(今の奈良県)江戸留守居役家老「草川太忠(くさがわたちゅう)」は、天誅組が高取城を攻めているとの知らせに、早籠で江戸から高取へ駆けつけましたぁ!
 この草川太忠が私の曾祖父。高取に着いた時には、天誅組は退散しており乱は治まっていました。 

 高取城は日本の三大山城(美濃岩村城、備中松山城、大和高取城)の一つで、標高584メートルの高取山の頂にあります。現在は石垣のみ。
 1863年8月26日に天誅組が高取城を攻めたのですが、太平の世に浸かりきった連中に、山城を攻める技術などあるはずがなかった。なにしろ、田んぼの畦道を一列に並んで攻めて来たそうです。また、山頂までの道も細く長く斜度がきついのです。

 高取城には、大砲がありました。天誅組は、大砲を撃たれびっくりして逃げ出したそう。
 この天誅組の変、犠牲者は天誅組の2名のみ。この2名は、逃げる際に転んで、逃げ惑う味方に踏まれて亡くなった。轢死というべきか圧死というべきか…
「そりゃないだろう」というべき戦死の仕方です…。

 大砲の直撃をくらった天誅組の兵士は、鉄鍋をかぶっていたのが幸いし、2日間の耳鳴りで済んだという。直撃で耳鳴りだけ…これも凄い!なんとものどかな戦です。

 曾祖父草川太忠、「御家の一大事に早籠で、江戸から高取まで駆けつけた…」3~4日はかかったでしょう。これまたのどかなものです。乱は治まったが、残党が不穏な動きをしていたので、剣の達人でもあった太忠はしばらく高取に滞在した。
 天誅組が完全に壊滅したのは9月24日の鷲家口村の戦闘でした。

 太忠が江戸へ戻るにあたり、城主(植村家保:いえもり)は、遠路駆けつけた褒美として、柿をたくさんもたせてくれた。
 息子の為之介(ためのすけ、私の祖父)は、柿をたらふく食べた記憶があると言っていたという。
 柿の量が多かったので、干し柿にもした。為之介にとって父親「太忠」は、天誅組に早籠で立ち向かおうとした英雄であり、尊敬できる人物であり、甘い甘い柿と、さらには干し柿さえももたらした、絶対の存在であったことは間違いありませんね。この時代「父性」は、厳然として存在していましたねえ。

 1868年(慶応4年、明治元年)草川太忠は、高取藩の「参政」に任ぜられ、さらに「東京公用人」を兼務しました。江戸は、東京と名称変更されました。
 その後の藩政の改革で、家禄は9割減となった…!廃藩置県で、高取藩は高取県となり、さらに奈良県となった。

 1871年(明治4年)末。太忠の勤務する東京出張所は閉鎖された。追い打ちをかけるように、武士階級の特権を剥奪する諸制度の改革が相次いだ。草川家は凋落の一途をたどることになりました。

 司馬遼太郎の短編に、「おお、大砲」があります。天誅組の変のことが書かれています。曾祖父の太忠は、「おお、大砲」には登場しませんが、影を感じます…。 

 1873年(明治6年)私の祖父、草川為之介は19歳になっていました。1月に徴兵令が公布されました。
 政府は、20歳以上の男子を兵籍に入れ、3年間兵役に就かせることにしました。草川家に代人料270円(現在の相場に換算して約200万円)を支払うことができれば兵役は免除されたのですが、残念ながら草川家にそのようなお金は無かった。
 為之介は、徴兵を忌避し、新天地を求め北海道へ渡りました。

 と、まあ我が家には、このようなご先祖様がおられました。 高取城址へ行けばご先祖様が吸った空気を吸い、見た景色を見ることが出来るかな。
…そんなわけで、一度ですが高取城址へ行きました。ただただ、感動しました。


絵馬の思い出

2024年12月31日 | Weblog
 年の瀬からお正月の「神社や寺院」は、祈願の絵馬が気分を高揚させてくれます。今年も、なんとか生きたまま過ごせそうです。有り難いことです。

 笑い話ですが、「絵馬(エマ)」と聞くと思い出すことがあります。例のサポートで、小学校に出入りしていたときのことですがね。

 まじめで、日本語もかなり堪能なアメリカ人のALTがおりました。名前は、「エマ(Emma)」。日本人の日常会話に出てくる単語なら、100%分かります。「饂飩」と、漢字で書けます。日本人でも、書ける人が少ないのに!「証言」と「調書」をきちんと区別して説明できます。

 小学校の英語の授業の準備で、エマが世界の国旗をA4版でプリントして20枚ほど持っていました。マイナーな国の国旗がほとんど。一緒に準備していた日本人の教員が…

「アンティークマンさんなら、これらの国すべてに行ったことがあるんでしょうねえ」

 と、水を向けてきた。実際は用意された国旗の国々の半分しか行っていませんでしたけどね。
 次に、「どこから旅行費用を出すの?」という問い。ルックスが貧しいからか、旅行する余裕などなさそうに思われているらしい。

「ちょ、貯金を下ろして…」
 と、答えるのはまともすぎるので…
「深夜に、ほほかむりをして…」
 と、答えました。
 日本人教員は、すぐに意味を理解し、「ハハハッ」と、笑いましたがぁ…エマは、キョトーン?さすがのエマも、「ほほかむり(ほおかむり)」は知らなかった。もちろん、「深夜のほほかむり=泥棒」は、知らないらしかった。
 エマが知らない日本語を持ち出した私は、居合わせた数人に賞賛されました。エマって一体どんな存在なんだぁ?
 さて、エマに対し、ほほかむりをどう説明したか…。

 タオルをもってきて、
「いいかぁ!このように頬が隠れるように頭からスッポリかぶるんだよ。だから頬被りというんだよ」
 エマは目から大きなウロコを2枚落としながら、
「おお!盗人!」
 と、叫びました。さすが、日本通。「ドロボー」と、言わずに、「ヌスット」と、言うのですから!

 ところが、居合わせた教員たちは、「ほほかむり」が「頬」と、つながらなかった。一斉に、
「まったぁーっ!(また、冗談言ってぇー)」
 という、疑惑の反応。「ほほかぶり」は、「頬」とは無関係だと思っていたわけで…。私は、いつもホラを吹くおじさんと思われていたことが判明。こんな学校、二度と来てやらないぞと心に誓いましたよ。

 エマには、漢字名を「絵馬」にしなさいと進言しておりました。芳しい返事はありません。
「絵」はいいけど、「馬」が気に入らないらしい。「餌魔(エマ)ならどうだ!閻魔(エンマ)もあるよ」と、言いたいが、意味が分かるでしょうから口をきいてもらえなくなりますね。

 今年も終わりです。来年は、少しは真面目な文章を書くぞーっ!進化しなければね。
 なぬ?今のままでいいって?はーい!そうしま~す!
 皆様、良いお年をお迎え下さい。


どぶろく…幼少時の原風景

2024年12月30日 | Weblog
 年の瀬、温めた甘酒が美味しいです。 
「甘酒」は、体が温まるからぁ…冬の季語…と、思いがちですが、実際は、夏の季語です。いつから歳時記を開くようになったかって?才能が無いので上達しませんが、句歴だけは長く、かれこれ50年です。
 江戸時代には天秤棒をかついで甘酒を売り歩く甘酒屋は、夏場の風物誌でした。
 見たのかって?さすがの私も江戸時代には生まれていませんでしたから、甘酒売りを見られるわけがありませんでして。ものの本からの知識です。「甘~い甘~い あまーざけっ」と、売り歩いたらしいです。

なぜ、夏に甘酒を飲んだのか?甘酒の成分が、夏バテに効いたから。甘酒は、ビタミン類、必須アミノ酸、大量のブドウ糖を含む、「発酵食品の優等生」なのだそうで。「飲む点滴」とおっしゃる学者さんもおられます。

「甘酒」は、どぶろくになる前なので、アルコール分は含まれていません。砂糖は入れないのになぜ甘いか?でんぷん質を糖化させたブドウ糖を20%以上含むので甘いのです。

 で、甘酒は「ジャパニーズ・ヨーグルト」と呼ばれています。「甘酒を作るのに牛乳は入れないだろう。ヨーグルトとは違うだろう」
 って?牛乳は入れません。食物繊維とオリゴ糖が腸内環境を整えるので、便秘や肌荒れなどを予防・改善、体内の有害物質の排出に役立つのだそうで…だから、ジャパニーズ・ヨーグルト。

 なぜ、甘酒に異様な興味を抱いているか…私の原風景に、「どぶろく作り」があるからです。終戦後に生まれまして、子どものころは「おやつ」などなかった。どこの家でも、冬になると「どぶろく」を造っていました。我が家でも。
 で、おやつ代わりに、ドブロクの盗み飲み。おいしかったですよーっ。酔っ払わなかったのかって?どぶろくになる前、つまり、「甘酒状態」のときに飲むので酔いません。できあがる前にせっせと子どもの私が飲むので、できあがったどぶろくの「嵩(かさ)」は減っている。しかし、「瓶(かめ)」なので、減っていることに気づかれません。瓶の特長を利用するあたり、賢い子どもでした。アハハ。

 自宅でどぶろくを造りたいけど、法律で禁止されているので…。だけど、法律で禁止されているものの造り方を、本やインターネットで紹介している。どうなっているんでしょうかねえ。
 ネット通販では、どぶろくが売られています。許可が下りれば醸造も販売も出来るようになっているんですね。
 お正月には、自家醸造ではありませんが、どぶろくを飲みながら、ニューイヤー駅伝、箱根駅伝を観る予定です。


農業の担い手を輩出しなければ

2024年12月29日 | Weblog
    一浪中の娘さんを持つ母親と話をしました。娘さんの兄は大阪大学在学中、一浪中の娘さんは、京都大学志望だという。頭のいい子を持つ親なんだなーと思いました。
 それはそれでいいのですが、娘さんは、京都大学の農学部志望だという。
 京大農学部…学生募集のコピーが面白かった時代も。
「あなたは、今日は、何を食べましたか。明日は、何を食べますか」
 これは素晴らしいですよ!認知症のテストのような…。農学部が認知症のテストをするはずないですね。ハイ。

「どんなものを食べているか言ってみたまえ。きみがどんな人間か当ててみよう」
 これは、フランスの美食家、ブリア・サヴァランの言葉。だけど、「美食家」という職業ってあるのかねえ?どうやって生活費を捻出するのかなあ?大変気になります。
 しかし、BUT、言葉の意味が、実によく分かります。愚か者は、愚か者なりの食事をしている。賢者は賢者の食事をしている。食事で、どんな人かは分かります。

 ある大学の「栄養学」の教授が講演の中で、「粗食のすすめ」の幕内秀夫さんを「おちょくる」ようなことを言いました。
 幕内さんが、粗食を勧めながら幕内さんご自身は(庶民にとっては)贅沢な食事をしているとか…でっち上げられた流言なのに、講演で言っちゃうあたり、ウケたかったのかな?どんなことを言ったか

「米とか麦とかを、粗食と言っている人がいますが、これらって粗食なんですか?」
 と、いかにも正義のミカタ(御方、味方、見方)のような…。あのとき、私が蛮勇を奮って抗議しなければ、講演会の参加者は幕内さんを、とんでもない人と思い込んだことでしょう。
 幕内さんの偉いところは、「米を食べなさい」とは言いますが、私のような、糖尿病予備軍(HbA1c76%…正規軍かな?まだ、インスリンのお世話にはなっていません)には、
「米は控えなさい」
 と、言ってくれるところです。
「何が何でも、私の言うことが正しい。私は偉いんだ!」 ではないのです。

 閑話休題。菅副総理(元総理)は、見かけは大酒飲みですが、実際は酒を飲めない。甘い物には目がない。あの苦み走った顔で、にこり笑って大福餅を食べている…ホントホント。甘党と言えば、甘利 明さん(元経済再生相)。それって、「甘」を掛けた、ダジャレだろうって?実は、これも本当の話です。私は、一年に数回ホラを吹きますが、嘘はつきません。
 では、裏金問題の塩谷立議員は「しょっぱいもの」が好きなのかって?だからぁ!ダジャレじゃないってば!
 …どうして、政治家を出すのかって?つい、菅副総理のごっつい手と、「農業」が結びついてしまって…。菅副総理、握手するとき全力で握ってくるのです。握力勝負してどーすんの?

 でぇ、また閑話休題。「銀の匙(中 勘助)」。
 …農業高校に入学した主人公が酪農で成長する姿を通じて、農業の魅力を伝えています。

 農業の担い手…育てなければ日本の農業は消える…。しかし、産業構造の変化で農業を志望する人は…。農業高校の卒業生で、農業に従事する率…「0%」の高校もある?それはないとは思いますがぁ…。

 高校がダメなら、大学でしょう。農業分野への関心、就農意欲を少しでも引き出したい…。これからの農業に対応した人材を育てたい…。

 京都大学でなくてもいいんです。「農業に興味がある人」は、合格させましょうよ。まして、一浪までして、農学部に入りたい。「金の卵」ではなく、「金の延べ棒」だと思いますがね。京大さん、来春、よろしくお願いいたします。と、言ってもあと3回寝たらお正月かあ。


大谷翔平さん談、「ワシは二刀流じゃ!」…ん?

2024年12月28日 | Weblog
 自分のことで恐縮ですが、我が家の子どもたちが小学生の頃までの私の一人称は…
「パパは、今朝78cmの鮭を釣ったよ」 
 一人称は「パパ」でした。

 子どもたちが、中高生ぐらいの時は…
「お父さんは今朝、港でクロガシラを釣ったよ」 
 一人称が「お父さん」に変わりました。

 そして、成人してからは…
「ワシは、山菜の王様はキトビロ(行者ニンニク)だと思うよ」
 一人称がワシ。ワシの期間は長かったです。
 現在は、「私」になっています。

 私の中年期の一人称、「ワシ」は、どこから来たのか?沢木耕太郎さんの影響ですね。
 沢木耕太郎さんが、自分のことを話すき、
「ワシは、キトビロよりタランボの芽が好きでござる」
 このようには、言うわけないですよね。

 沢木さんが「ワシ」について書いてあるのは…
 エッセー集「バーボンストリート」。その中に、「奇妙なワシ」という題のエッセーが入っています。

 バーボンの原料は穀物。ただし、トウモロコシを51%以上含まなければならない。アルコール度数は、62.5度(以下)なのだそうで。我が家に10年前に買ったジャックダニエル(バーボンウイスキー)がありますが、アルコール度数が高くて、なかなか減りません。

 閑話休題。「奇妙なワシ」では、スポーツ記者の手により、スポーツ選手の一人称が「オレ(ボク、ワタシ)」から「ワシ」に変わる過程が書かれています。

 名前が挙げられているスポーツ選手は、江夏豊、山本浩二、星野仙一、元横綱の輪島、初代の貴ノ花、元ボクサーの輪島。
「団塊世代、昭和22年~24年生まれ)」の方にとっては、懐かしい名前。この3年間の合計出生数は約806万人!

 どの顔も、「ワシは、キトビロと、ビールは10リットルたのむワ」「ワシは、タランボの芽の天ぷらと、日本酒2升ね」と、言いそう。
 しかし、実際は、彼らは自分のこと(一人称)を「ワシ」とは言わないのかも知れません。

 スポーツ記者が記事にするとき
「ボクは、ヒラメとバーボン2本」
 と、注文したとしても
 「ワシは、ヒラメと・・・」に変えてしまうというのです。

 スポーツ新聞に「清原が、ワシの打席で…と言った」と書かれたことがありました。元野球選手の清原和博さん、「自分のことを、ワシなどと言ったことはない」と、怒っていました。
 元野球選手の清原和博さんは、「ワシ」が似合いますけどね。

 沢木耕太郎は、(一人称で)「ワシ」というと…
「いかにも一匹狼の選手らしい。横綱らしい。その『らしさ』を装う道具が『ワシ』だ」
 と、書いています。沢木さんが書きたかったのは、ここですね。

 江夏が、「ここは、ボクが27球で抑えます」ではおかしい。「ここは、ワシが27球で抑える」
 これでこそ、江夏です。
「ワシ」は、「らしさ」を装う道具だったんだぁ!納得納得。

 となると、私が(家族内会話限定で)一人称を、「ワシ」と言ったのは、何か「らしさ」を装っていたのか?
 本当のところは、沢木さんの「威」をお借りして、時代劇のマネをしていただけなんですけどね。…武士らしさ…。