「リフォーム徒然なるままに」で、今年の初めからローマ字の日本語の音訳を付けた。
しかし、時間がなくて音訳をなかなかつけられないでいる。
音訳を付けたのは、いくつかの理由がある。
一つは、最初に書いたように日本語を学びたい人のためである。
二つめは、日本語でなければ理解できない概念がたくさんあるからである。
たとえば、このブログのタイトル「徒然なるままに」なんかもそうである。
そうした言葉は文脈の中で理解するしかない。
それには、生きた現代日本語を学んでもらうことが一番である。
三つ目は、2年くらい前になるだろうか。
東伊豆を旅したとき、「スーパービュー踊り子」号に乗った。
自分は、正しい指定席に座ったつもりであったが、しばらくしてアジア人が日本語で話しかけてきた。
日本語と言っても中国語のなまりがあるので、中国か台湾の方だということはすぐ分かった。
恥ずかしいことに、「日本語」で話しかけてきたのに、いつのまにか英語でこたえていた。
日本語で、
「席が違うのではないか」
と言っておられるのに、ブロークンな英語でこたえている。
日本語でこたえればいいのにである。
果ては、
「失礼しました」
と日本語で言えばいいのに、
「アイムソリー」
と英語でこたえている。
今や、日本語はアジアを始めとする多くの国々の人々から学ばれる言葉になっている。
それには、日本語のサイトが読まれることも当然のことと考えて、発信していく必要があると考えた。
少し、理屈っぽくなったが、そのあたりを簡潔に書いているのが、
日下公人の
『-日本の「反撃力」が世界を変える-数年後に起きていること』
PHPソフトウェア・グループ(2006.9.19)である。
この本の217頁に面白いことが書いてある。
竹村健一に著者があるラジオ番組で
「・・・日下さん22世紀をどう思いますか」
と聞かれて、
「はい、22世紀には英語が廃れます。日本語が中心になります。・・・」
と答えたとの話である。
詳しくは、同書を読まれることをお勧めする。
どうして、日本語が学ばれるようになったか、既に学ばれているのかが分かる。
また、どうして今まで英語が主流であったのかも、分かりやすく書かれている。
この本は、久しぶりに元気の出てくる本であった。
若い人にぜひ、お勧めする。
そして、私が漠然と考えていたことがすっきりと整理されていて、「目からうろこ」であった。
しかし、時間がなくて音訳をなかなかつけられないでいる。
音訳を付けたのは、いくつかの理由がある。
一つは、最初に書いたように日本語を学びたい人のためである。
二つめは、日本語でなければ理解できない概念がたくさんあるからである。
たとえば、このブログのタイトル「徒然なるままに」なんかもそうである。
そうした言葉は文脈の中で理解するしかない。
それには、生きた現代日本語を学んでもらうことが一番である。
三つ目は、2年くらい前になるだろうか。
東伊豆を旅したとき、「スーパービュー踊り子」号に乗った。
自分は、正しい指定席に座ったつもりであったが、しばらくしてアジア人が日本語で話しかけてきた。
日本語と言っても中国語のなまりがあるので、中国か台湾の方だということはすぐ分かった。
恥ずかしいことに、「日本語」で話しかけてきたのに、いつのまにか英語でこたえていた。
日本語で、
「席が違うのではないか」
と言っておられるのに、ブロークンな英語でこたえている。
日本語でこたえればいいのにである。
果ては、
「失礼しました」
と日本語で言えばいいのに、
「アイムソリー」
と英語でこたえている。
今や、日本語はアジアを始めとする多くの国々の人々から学ばれる言葉になっている。
それには、日本語のサイトが読まれることも当然のことと考えて、発信していく必要があると考えた。
少し、理屈っぽくなったが、そのあたりを簡潔に書いているのが、
日下公人の
『-日本の「反撃力」が世界を変える-数年後に起きていること』
PHPソフトウェア・グループ(2006.9.19)である。
この本の217頁に面白いことが書いてある。
竹村健一に著者があるラジオ番組で
「・・・日下さん22世紀をどう思いますか」
と聞かれて、
「はい、22世紀には英語が廃れます。日本語が中心になります。・・・」
と答えたとの話である。
詳しくは、同書を読まれることをお勧めする。
どうして、日本語が学ばれるようになったか、既に学ばれているのかが分かる。
また、どうして今まで英語が主流であったのかも、分かりやすく書かれている。
この本は、久しぶりに元気の出てくる本であった。
若い人にぜひ、お勧めする。
そして、私が漠然と考えていたことがすっきりと整理されていて、「目からうろこ」であった。