ローマの観光では、トレビの泉、スペイン広場などオードリー・ヘップバーン扮するアン王女が訪れた「ローマの休日」の名場面観光をした。
予定より早めに行程が進んだためか、スペイン広場で1時間半ほど自由時間にしますとの添乗員さんの案内。
妻と私は、この時間をどう使うおうか思い悩んだが、おみやげはだいたい購入したので、妻と私の「ローマの休日」にすることにした。
妻が、ポポロ広場へ行きたいというので歩き始めた。
どの観光地に行っても日本人と会わないことはないのだが、さすが観光スポットを少し離れると少なくなる。
私は、どちらかというとウィンドウショッピングに興味があったので、目をそちらに凝らしていた。
すると大発見!
金をたっぷり使った室内用、装飾品の数々・・・
中央に見えるのは、金の「蛇口」である。
価格は、高価であった。
こうした金を使った装飾品を扱う専門店があるということがイタリアを感じさせる。
「機能」だけでなく「デザインや美しさ」を楽しんだり、楽しませたりするイタリアンライフの「粋」。
じっくり店内に入って見たかったが、時間が限られている(お金もなかった(笑))のでポポロ広場に向かった。
妻と記念写真を撮ろうとしたが、イクシデジタルが電池切れ。
しかし、あわてることはなかった。
携帯電話をカメラにして、携帯で撮影した。
妻と2人で見たピンチョの丘から見たポポロ広場である。
遠くに見えるのは、サンピエトロ大聖堂の丸屋根である。
この丸屋根からの眺めが、息子の話によるといいらしい。
ピンチョの丘は、公園になっていて地元の人の憩いの場になっている。
恋人たちのデートスポットでもあるようだ。
ピンチョの丘を後にして、スペイン広場にむかうとご覧のように、やや下りである。
しかし、ご注目いただきたいのは、背景に邪魔になる高層建築が何もないことだ。
緑が青空を背景に実に美しい。
こうした、美的センスが今のイタリアをつくっているのだろう。
この坂を下って、ピンチョの丘からさっきポポロ広場に向かっていた道の方向を見た写真が下の写真である。
建物は、4階建てか5階建て。
それも、ほとんど築後数十年から100年以上経っているのではないかと思う建物ばかりである。
道路を見ると路上駐車であふれている。
これは、ミラノでもフィレンツェでもそうだった。
地下を掘れば、遺跡がごろごろ・・・
駐車場をつくる用地がないのだ。
ならば、高層建築にして駐車場をつくればと思うのだけれど、そうもできない。
仮にできたとしても、この美しい景観は失われてしまう。
そして、遠くに見えるサンピエトロ大聖堂も見えなくなってしまう。
2枚目の写真をもう一度ご覧いただきたい。
もしも、遠景のサンピエトロ大聖堂(バチカン美術)がこのピンチョの丘から見えなくなってしまったら、私たちの「ローマの休日」は、「ローマの休日」でなくなってしまう。
私は、キリスト教徒ではない。
だが、こうした、古い建物を残し、大切にするからこそ、室内で毎日使う蛇口、椅子、照明、絨毯、カーテン、コード、プラグ・・・といった細々としたものまでクオリティーの高いものにお金を投じ、より質の高い満足感を得ることができるのではないか。
振り返って我が祖国。
京都はまさに、いくつのも寺社、五重塔、そして各地から見られる大文字焼き・・・
「富士見坂」など、各地の富士山を見る数々の絶景ポイント。
美しい田園風景、山河などの自然、各地にある神社、仏閣、歴史的遺産、能や歌舞伎と言った日本独自の芸術。
そして、まじめで勤勉で親切な国民性。
それらが、見られなくなったらまた来たいと思うだろうか?
私は、妻がポポロ広場へ行こうと言ったとき、正直気が進まなかった。
ヴェネツィアのサンマルコ広場さえ、ナポレオンが「世界一美しい広場」と賞賛したことさえ、そうでもないなあと思ったくらいだったから。
だが、ピンチョの丘に妻とともに来て良かった思った。
イタリア人は、この景観を守り続けている。
そして、私たちも海外から訪れる方々や子孫に「また来たい」と思う景観を残す必要があると・・・
トレビの泉に後ろ向きになって、左肩越しに硬貨を投げ入れた。
是非また、カプリに行ったり、ローマを訪れピンチョの丘からポポロ広場を眺めたりしたいと思った。
予定より早めに行程が進んだためか、スペイン広場で1時間半ほど自由時間にしますとの添乗員さんの案内。
妻と私は、この時間をどう使うおうか思い悩んだが、おみやげはだいたい購入したので、妻と私の「ローマの休日」にすることにした。
妻が、ポポロ広場へ行きたいというので歩き始めた。
どの観光地に行っても日本人と会わないことはないのだが、さすが観光スポットを少し離れると少なくなる。
私は、どちらかというとウィンドウショッピングに興味があったので、目をそちらに凝らしていた。
すると大発見!
金をたっぷり使った室内用、装飾品の数々・・・
中央に見えるのは、金の「蛇口」である。
価格は、高価であった。
こうした金を使った装飾品を扱う専門店があるということがイタリアを感じさせる。
「機能」だけでなく「デザインや美しさ」を楽しんだり、楽しませたりするイタリアンライフの「粋」。
じっくり店内に入って見たかったが、時間が限られている(お金もなかった(笑))のでポポロ広場に向かった。
妻と記念写真を撮ろうとしたが、イクシデジタルが電池切れ。
しかし、あわてることはなかった。
携帯電話をカメラにして、携帯で撮影した。
妻と2人で見たピンチョの丘から見たポポロ広場である。
遠くに見えるのは、サンピエトロ大聖堂の丸屋根である。
この丸屋根からの眺めが、息子の話によるといいらしい。
ピンチョの丘は、公園になっていて地元の人の憩いの場になっている。
恋人たちのデートスポットでもあるようだ。
ピンチョの丘を後にして、スペイン広場にむかうとご覧のように、やや下りである。
しかし、ご注目いただきたいのは、背景に邪魔になる高層建築が何もないことだ。
緑が青空を背景に実に美しい。
こうした、美的センスが今のイタリアをつくっているのだろう。
この坂を下って、ピンチョの丘からさっきポポロ広場に向かっていた道の方向を見た写真が下の写真である。
建物は、4階建てか5階建て。
それも、ほとんど築後数十年から100年以上経っているのではないかと思う建物ばかりである。
道路を見ると路上駐車であふれている。
これは、ミラノでもフィレンツェでもそうだった。
地下を掘れば、遺跡がごろごろ・・・
駐車場をつくる用地がないのだ。
ならば、高層建築にして駐車場をつくればと思うのだけれど、そうもできない。
仮にできたとしても、この美しい景観は失われてしまう。
そして、遠くに見えるサンピエトロ大聖堂も見えなくなってしまう。
2枚目の写真をもう一度ご覧いただきたい。
もしも、遠景のサンピエトロ大聖堂(バチカン美術)がこのピンチョの丘から見えなくなってしまったら、私たちの「ローマの休日」は、「ローマの休日」でなくなってしまう。
私は、キリスト教徒ではない。
だが、こうした、古い建物を残し、大切にするからこそ、室内で毎日使う蛇口、椅子、照明、絨毯、カーテン、コード、プラグ・・・といった細々としたものまでクオリティーの高いものにお金を投じ、より質の高い満足感を得ることができるのではないか。
振り返って我が祖国。
京都はまさに、いくつのも寺社、五重塔、そして各地から見られる大文字焼き・・・
「富士見坂」など、各地の富士山を見る数々の絶景ポイント。
美しい田園風景、山河などの自然、各地にある神社、仏閣、歴史的遺産、能や歌舞伎と言った日本独自の芸術。
そして、まじめで勤勉で親切な国民性。
それらが、見られなくなったらまた来たいと思うだろうか?
私は、妻がポポロ広場へ行こうと言ったとき、正直気が進まなかった。
ヴェネツィアのサンマルコ広場さえ、ナポレオンが「世界一美しい広場」と賞賛したことさえ、そうでもないなあと思ったくらいだったから。
だが、ピンチョの丘に妻とともに来て良かった思った。
イタリア人は、この景観を守り続けている。
そして、私たちも海外から訪れる方々や子孫に「また来たい」と思う景観を残す必要があると・・・
トレビの泉に後ろ向きになって、左肩越しに硬貨を投げ入れた。
是非また、カプリに行ったり、ローマを訪れピンチョの丘からポポロ広場を眺めたりしたいと思った。