原爆忌
人脂飲む子は
どう思う?
げんばくき ge n ba ku ki
じんしのむこは ji n shi no mu ko wa
どうおもう? do u o mo u ?
人脂(じんし)とは、私の造語である。
辞書にはない。
人の脂(あぶら)のことである。
原爆、つまり原子爆弾をご存じない方は、広島を訪れることを是非おすすめする。
特に、広島平和記念資料館を。
原爆忌とは、原子爆弾に被爆した犠牲者を悼む日のことである。
広島なら、8月6日である。
長崎は、8月9日。
今年の春、長崎に行ったことは前に書いた。
長崎は2回目であったが、平和公園は初めて訪れた。
妻と平和公園を見ていたとき、気づいたのが下の写真の碑であった。
何が書かれているかをここに記す。
「・・・
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
「あぶら」とは、もちろん人の脂のことである。
原子爆弾に被爆した人々が、瀕死のさなか、熱傷の苦しさ等から水を求めて水場に集中し、そこで息絶えた。
その人たちの人間の脂が、水面に浮かんでいた。
この子(少女)も同様に被爆し、熱傷の苦しさから水を求めた。
そこには、人間の骸(むくろ)がいくつもあった。
そして、その骸の脂が今飲もうとする水に、たくさん浮かんでいた。
飲もうかどうか、幾度も躊躇した。
しかし、被爆して苦しくて、我慢できずに飲んだ。
ということがこの碑に記されている。
昨今の出来事を見ていると、この子のこの叫びが脳裏を占める。
今の時代を、生きている誰かが、さらにもう1回こういう思いを誰かにさせるのか?
そのことに間接ながらも、私を含め誰かが手助けするのか?
また、手助けしなくとも、自分も含め誰かが「この子」と同じ思いをまたするのか?
と。
いったい、今の状況を長崎の原子爆弾に被爆した「この子」はどう思っているのだろう?
と。
「この子(少女)」は、「私」でも「あなた」でもおかしくない。
今や世界のどこでも、誰でも「この子」に代わりうる。
あなたは、どうしますか?
黙って、自分には関係ないと「この子」と同じ思いを誰かにさせますか?
手助けして。
あなたは、「この子」にならないと信じられますか?
仮に、そうだとしてその保証はどこから来るのですか?