午前中、可部から・・
安芸太田町(加計)の丸河釣具店へ納品へ
当然、川を見ながらの運転
台風2号の雨は、太田川に影響は殆ど無かった
現状は昼の時点で、50~60cm程水が高い
ダムの放水は。、3t落とすらしいが・・・本流の鮎釣りは厳しいかも
支流の西宗川が、狙い目だろう
明日の解禁への出陣は、午後くらいに・・・・
午前中、可部から・・
安芸太田町(加計)の丸河釣具店へ納品へ
当然、川を見ながらの運転
台風2号の雨は、太田川に影響は殆ど無かった
現状は昼の時点で、50~60cm程水が高い
ダムの放水は。、3t落とすらしいが・・・本流の鮎釣りは厳しいかも
支流の西宗川が、狙い目だろう
明日の解禁への出陣は、午後くらいに・・・・
台湾を出発する日、前日に東君達が釣った鮎を、塩焼きにしてもらいました
21cmくらいの鮎なのでちょうどいいサイズ!と言ったら・・・
「小さい・小さい」と林さんが・・・
「もっと大きいほうが美味いよ」・・と
お腹は割かれ、取り出されていたので内臓の味は判らないが・・
身の味は、抜群に美味い
この時期にしては、脂がのっている
二年生きる台湾鮎は、特別なの???
台湾の山は、原生林が多い
日本のように杉・檜の植林されていないのだろうか・・・(台湾檜は日本でも有名だが)
戦後、日本中が丸焼けになり材木が不足し、官民あげて植林することに
結果、山が保水能力を失い、ダム建設による水の確保が必要となり・・・
今に至るのだが・・・
台湾の山は深いし、富士山より高い山もあるニイタカヤマ(新高山)は、日本領であった台湾の山の名(現在は玉山)
また、自然保護についても厳しく監視している
漁協組織がないので、行政が管理している
私が行った山の入り口にも、交番や検問所があった
台湾鮎は、日本へ戦前から輸出し、今も輸出しているという
この魚が、台湾で最初に釣った苦花魚という高級魚のから揚げとその卵です
鮎を堪能した後なので、余り食べられなかった・・・
今回大変お世話になった通訳師の陳さんと、今回誘って頂いた東君と林さんのお店で記念撮影・・・
帰国前に、陳さんには妻へのお土産(パイナップル入りのお菓子)を買うために台北市松江路382號にある『 蓬莱摩沙』へ連れて行ってもらった
蓬莱とは、台湾の昔の名前
摩沙とは、ポルトガル語で美しい島
と言う意味で、台湾のことをさしていると、陳さんが説明してくれた
中々博学な方である
昨夜、エビ釣りを手伝ってくれた生徒も、見送りに来てくれた
次の訪問は、まだ未定ですが・・今度は、自分の竿を持って行きます
周さん、ジョージご夫妻、林さんご夫妻、台湾の皆さん謝謝
お土産に響ウイスキーをお持ちしました
故佐古田会長と、ウイスキーを楽しまれていたと聞いていたので・・・
台湾のJFT友好団体の『台湾流遊会』会長の汪 慶堂氏
以前にブログで紹介した、台湾の鮎を復活した実在の方です
初めてお会いしたのですが、すぐに意気投合???目上の方に失礼かな
最初、赤ラベル二本出されていたのですが、私が紹興酒を飲みたいとお願いしたら・・
汪 慶堂氏が、店の方にお願いし箱入りの金ラベルの紹興酒がでてきたのです
甕入りの紹興酒なのだろう
穏やかな口当たりと、喉越し・・・
古今東西、時間と手間暇掛けると・・・ただの酒も美味い酒(養老酒)に、生まれ変わるのかな
女性も・・・・
いや、やめとこう
エビ釣りに、挑戦することになった
台湾での、夜のデートコース??
エサは、アミエビとレバーの切り身(カッターで細かく切って使う)
屋根付のプールに手長エビを放流し、お客に時間単位で釣らす
持ち帰りOK
備え付けの焼き器で焼き、その場で食べてもOK
ジョージさんが竿で棚を取って、ウキを調整し、釣り方を教えてくれた
奥さんと最初のデートも、エビ釣りだったそうだ
台湾式エビ釣り・・
①エサを付け、ブクブクの側に投げ込む
②ゆっくりとウキが、沈まない程度引く
③ウキが沈むとエビが掴んでいるので、少しウキをフリーにし、次にゆっくりと引く
④まだ、掴んでいるので数秒待って、ウキの上でおもいきり合わせを入れる
⑤エビの口は小さいので、スレで掛かっている場合もあるので、早めに引き抜く
⑥手長エビの手の先には、爪が二本・・・持つときは、後ろ側から・・
初心者らしく、ジョージさんの夫婦の指導で、徐々にコツを掴み掛けるように・・・
私が、ここでエビ釣りをしていると聞いて、前夜の生徒さんが応援にやってきた
彼は、エビ釣り専用の竿を持参
やや硬めの竿は、おもいっきり合わせを入れる為
焼きも丁寧に、櫛を回して・・・
美味しくエビを、頂きました
謝謝、台湾の友よ!
暖かいタオルで体を温め、筋肉を揉み解して・・・
その後は、アロマオイルを体に擦りつける?初めての経験・・・・非常に気持ちが良かった
仰向けになって、熱いタオルを顔に乗せられて・・・
気が付いたら、2時間経っていた
その後は、日本の統治時代の頃の物を所蔵公開しているレトロの喫茶店へ・・・
私には判らない時代の、看板です
ヨーロッパの国々が、東南アジアを植民地にした時は、その国の財産を搾取することが目的・・
植民地・統治・・・今の時代には理解できない言葉に・・
この時代の歴史について、何故か学校教育では足早に済ませる
今、NHKの朝ドラで当時の学校教育の模様がでている
戦後、日本が全て悪者になってしまった理由が・・・
日本は、朝鮮・台湾を統治したとき、日本国民の税金を使って鉄道、電話、上下水などの基盤整備を行い、教育も日本語教育であったが、日本と同じように行っていた
台湾の老人に、日本語が通じる方がいるのもその理由からだ
台湾の方には、親日家の方が多い
しかし、中国と国交を通じた時点で台湾と国交を断ったのは、情けないと思う
東日本大震災のテレビ映像をリアルタイムでみて、共に悲しんで義援金を沢山頂いている国なのに
国際政治とは、不可思議の世界なのですね
台湾と日本は、民間交流が盛んに行われている
広島には日華親善協会がある、故 灘尾弘吉先生、故 原田睦民先生の後を継いだ、山木靖雄県議が現在お世話をしている
父母も先生達と毎年のように台湾に行っており、昔は入国時は税関の横を素通りだったとか・・・
家に飾っている舵輪は、高校生の時父にお願いし台南で買ったもの
さて、濃い目のコーヒーを飲んだ後、台湾流友会の面々との会食へ向かった・・・
続く・・・