
○少子化問題(どんなもんや20051007CBC)と聞いて感じる自分の素朴な感覚は、池田晶子氏の『41歳からの哲学』第三章の「子供を生むのは自分の意志だ、というその考え方の前提が間違っている」というのに比較的近いかもしれない。「子作り」という日本語を初めて聞いた時は酷く下品な言葉だな、と素直に思ったので、今でもその言葉を自分は使用しない程である。思い出すのは、もし生きていれば多分今頃KinKiの人くらいの年齢の屈強な青年になっていたであろうと思われる従弟(従妹の末弟)の事だ。叔父夫婦が一生懸命苦労して授かって大事に育んだにも関わらず幼稚園に上がる前に事故で亡くなった。子供の命を授かるのは人間の能力や思惑を遥かに超えた自然の力で、遺伝子工学だろうが何だろうが人為的に必ず意志どおり作れるとかどうにかなるとかいうものではない。結婚すりゃ必ず生まれるというものでもない。生まれたって子供は子供で親の都合とも国の都合とも別に個人の人生を形成していくであろう。ニュースで言われる話題の何が下品に思え不快かというと、その生命への畏怖というものがすっぱり欠落していて、何か短絡的に、いや短絡ですらなく見当はずれに、現在の女性労働者や若者が非難されている点だ。一部調子っぱずれな青い人などは、老獪な老人達に騙されたまま勝ち馬に乗る気分になりたいばかりに、同類なはずの女性や若者への悪口に同調するらしい。わしらおとなしいと思って侮られてるのかもしれん。それじゃ天下り老人はいつまでも高給閑職にしがみついてないで早く引退して清貧の老賢人となり、仕事のない若い者に仕事の口をとっとと譲ったらどうなんだ、みたいな話である。この不真面目な私だって学生の頃に父親が死んだので、こりゃ自分で最低限度稼がんと生活できなくてやばいぞと本気で考え始めたから、働いている。ちなみに自分の年金は、今自分の母親がもらってる年金分を払っているのだ(足りないならもっと余ってる金持ちから沢山取ってくれ)とか思いながら払っている。まあ古来、天網恢恢疎にして漏らさず、とも言う。今日は休日でなく連絡会議出張から帰って、激しくCM割を超過して突き抜けてしまった長いトーク(笑)のキンキラ(LF+R)を聴きつつLFを読む。自分らしく生きる、その「自分」とは、つよしさんの場合、何だろうか。とふと思ったり。(20051008)
