「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20060530

2006-05-30 | 矮小布団圧縮袋

○会議延長で久々の午前様となり、帰ってラジオをつけると、どんなもんや(CBC)が始まった。子供と一緒に遊ぶ「おたくの父親」光一先生は特に異議なしのようだが、そりゃ親子二代三代例えばKinKiコンに一家で押し寄せればそれこそ入場料グッズ料収益二倍三倍だろうから(笑)興行側としては否まないのは当然かもしれない^^。以前にも述べたが、私は自分がオタクであると感じるとき、自分の子供の前でこのように熱中している恥ずかしいところを、親としては見せたくない。矜持をもって「子供には百年早い。ワシを倒してから行け」と叱る親の側に回るのが、むしろ夢だ。吝嗇だからということではない。私の父親もそうした親の立場だったから、子供の自分は抵抗があるほど熱くなるというか、だからこそ逆に私は親の「大人の教養や趣味」に憧れ、密かに工夫して接近しようと努力と策略を試みて成長していったことを思い出すからである。父がもう少し長生きしてくれていたら、もう少し成長した自分が時間を共に過ごし、父が好きだったものが何だったのか、それを共有できたかもしれないのだが、と思い出すことがよくある。もし親が、自分も好きなものを子供が好いて、内心では実は嬉しいと思いつつ、しかし平静を保ち、すぐに友達同士のように子供と馴れ合わず、また子供をダシに使って自分が騒ぐこともせず、黙って子供が一人前に成長するまで見守っていたのだとしたら、その「大人」の配慮に感謝したい(もっともそんな深慮でもなく、貧しくて何も買い与えられなかったか、単に忙しくてあまり一緒に遊べなかっただけかもしれんが)。結果として、残された子供が「過去のあれはいったい、何の意味だったのだろうか」と考え続けるオタク度や好奇心は、何十年も非常に長続きすることになってしまったように思う。生きていれば岡田真澄さんより年上だったはずの父の謎は、私にとってはその死後、今でも永遠に残されている。そういう謎を残す大人の存在の役割に一種の美意識的なものを感じるというか、可能ならばそういう存在になってみたいような気持ちもあるのである。(20060530)

コメント