「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20061005

2006-10-05 | 矮小布団圧縮袋

巨大台風が来てからの3週間、
轟音から私の細胞は質的に変化し始め、
その音の意味を探るために
憑かれたように禁断の賢者の箱を開き続けた。
幾千万の人々の残す様々な言葉を追ううちに、
ばらばらであった幾つかの私の過去の記憶が
今の身体感覚の意味に繋がり始めた。
それらは忘れられていただけで、
決して酔狂な偶然の集まりだけでもなかったことを
知る。私は思わずつぶやいた。

「私はどうやら、20年前に、スティーヴ・エトウ氏を
 ステージで見て聴いている。その時、その名前をよく知らなかったが」

思い立って、100冊以上はあるかもしれない数十年以上の日記の
ノートの束の、1986年から1987年のあたりを
押入のダンボールの中から掻き分けて、取り出した。

その日の夜、FMラジオで偶然その音を聴いたのだった。
『すごい!日本にこんなRoxyみたいな
バンドがいるなんて!仙台に来月来るって、チケットってとれるのかなあ。』
20年前の子供の自分は、そんな事を書いていた。
あの音は覚えていたのに、名前をはっきり覚えていなかったそのバンドを
…多分、高橋幸宏氏&Steve Jansen氏のツアーの次くらいに
聴きにいったはずである…多分。

登校拒否で半年以上休学し
復学してからは、自閉的に轟音のheadphoneで耳を包みながら一人
時々気になる音のライブにはふらふら夜中に彷徨い流れ
美術館の無料上映会のドクトル・マブゼの劇伴音楽に打たれ
名画座の惑星ソラリスやblasphemous rumoursの旋律に泣く
そんな憂鬱な毎日を過ごしていた、子供の頃のことだ。

だから今年ENDLICHERI☆ENDLICHERIを見に行って
エトウ氏の音に何かを思い出しかけたのと
どこか懐かしい音楽との連関を感じさせる轟音にさらされながら
まるで昭和末期の頃の自分の感覚のような幻覚のまま
ここ3週間くらい、眠れない夜を送っていることとは、
どうやら遥か遠くで繋がっており
20年をかけて、大いなる何かがぐるりとひとまわりして私のところにやってきた
だけであるのかもしれない。

もはや社交辞令の教養として聴くのでもなく
世間の流行り物だから聴くのでもない。
ついこの間のこと、たった20年など、ほんの一瞬にすぎない。

帰るべくして遭遇するべき音がある。感謝する。
                            (20061005)
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