○西日本スポーツは8日日曜の記事(白黒)に続編「大阪城ホール戒厳令」載ってますよん。トーチュウより一日遅かったけど読めます(昨日読めずに行った九州勢に告ぐ^^図書館の閲覧か西日本新聞関連でBNをご覧になっても)。頑丈なロスブラウンの群れも砕くと云う(爆)
まあ、公演の横浜も大阪も週末、お出かけには無事な天候のようでよかった(低気圧は相変わらず強い。東北北海道の方々、960hPa台といえば例年福岡を直撃する台風とほぼ同じです。謹んでお見舞い申し上げます)。福岡も激動の9月の事を思うともったいないような好天だが、個人的事情としては当初の予定外に3日の夜マリンメッセで騒いだ分、かなり遅れている作業と、来週からの怒涛の業務の準備で、遠出せず家と会社と近所で過ごすことにした。昨日今日とあまり作業ははかどらないものの、少し落ち着いて物を考える時間も欲しいと思い、詰め込みすぎずに洗濯や衣替や床掃除や台所掃除もやっている。時々休憩してうたたねをすると、また頭の中がぐるぐる回って10代20代30代と連続してくりかえされる奇妙な夢を見る。起き上がってまた仕事を始める。…気がついた事がある。自分はあまりにも多量なエンタテインメントの刺激を過剰摂取しすぎて、それらの影響を自分の中で醸成させる時間を欠いていたのではなかったか。案内状が届くと機械的に申し込み、意味を考えるより先にスケジュールと回数の多さばかりが人々に競われるような遊山の連続の中で、少しの刺激であってもイメージの反芻と想像の反復で充分じわじわと毒が体内に拡がっている、そういう子供の頃のような柔軟な愉楽を忘れていたような気がする。受け手でだけであっていいのなら、大量摂取して消費するだけでいいだろう。だが、自分は業務として別のものを創り表現しなければならない要素があり、受けた精神の刺激はその糧として無縁ではないのだ。先日述べたようなひょんな具合で20代の自分の日記を見直してみて、スキルや経験値、身銭を切る遊び方への行動力においては明らかに現在より劣る当時の自分が、使用言語の実感性や方法論のつかめないまま表現衝動にのみ駆られているような若さを文章に感じた。しかし、実感性や方法論が多少蓄積されてきた今の自分に再び必要なのは、むしろ当初の衝動や愉楽の醸成の方ではないのかと思うようになった。そんな気分もあって、ゆっくり考える時間が欲しくもなっている。…昨夜はかなりちゃんと眠った方なので、朝目が覚めて2日分の番組録画分を見る。…先日、「音楽に説教は求めない」と書いたのにロマンポルシェ。が歌うのを見てしまった。自称:説教7割ライブ3割(笑)。でもそれがオケからちゃんと聴くと確かに1980年代前半のぴこぴこした機械のニューウェーブっぽい音とvocal声質なんだわ(プロレスラーのように叫ぶのが難)^^。日本語の歌詞理解できない外人が聴いたらニューウェーブだって本当に思うんじゃないだろうか?ある種のパロディなのか。ああっ、14日って表稼業でフォーマルに出張営業の日だよ残念。仕事じゃなかったらVivre Hallに寄っちゃうかもしれん。おちつけ自分。(20051008)
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