○ほらみろ。やっぱり外部評価主義の蔓延の弊害だろう。校長先生みたいな偉いはずの先生すら自分の学校の生徒を何人偏差値高い大学に入学させたかで評定されて、校長としての成績が評価されて低いとCとかDとかEとかついていたたまれないっていうんでしょ。会社員は業務の評定で給料引くとか肩叩きとかの口実に使われるし、テレビ番組は視聴率リサーチが点数をつけて広告出資額に響くし、音楽をやりたくてCD作ればオリコンが成績をつけると。世の中全部そういうことなのか。点数主義だとみんな優等生になりたがるという、人の心ほど弱いものはないからね。…個人的にあくまでも私自身の考え方としては、他人のつける評価の基準なんて所詮他人様の程度の基準なんであって、結果的に良かろうと悪かろうと、偶然良くて人に優等と思われようが逆だろうが、結局最後には、自分の中でやりたいことなのか、中身として充実した仕事をできてるかが大事だと思うんですよ。長期的普遍的に見て「価値が残るか」っていうのもそこだろうし。まあそれは別としても、所詮他人な人から嫌われたからとか他人から悪い評価をつけられそうだからっていう理由で自分で自分を殺すっていうのが私にはできなさそうな気がする。そんな悪意に満ちた相手のことを自分が愛して服従しなきゃいけない義理がないし、そうしちゃうのは自分の中にその義理の基準が欠落してるか、よほど心身が衰弱していて思考と体が弱っていてさらに気の毒な状態だからではないだろうかとも考える。自分は小学校に上がるまで幼稚園とか保育園とかに行った事がなくて、その分おっとりして集団生活に慣れてなくて近所の園児出身徒党組連中から小中学校の時は格好の餌食としてこっぴどくいじめられまくったのだが、今思い出して、なぜ死なずに今まで生きてこられたのかと考えると、結局自分には自分の世界があって、そのimageで一人の時間も頭の中を一杯にすることができて(自己満足imagination上等)、それは親兄弟だろうと親友だろうと完全には共有できっこない、死ぬまでおそらく自分独りにしかわからない大事なものだ、と思った絶望を出発点にして、十数年以上長い時間をかけてようやく社会と折り合いをつけてこられたからかもしれない。勝ち負けで負けて人に死ねと言われてすぐ死ぬのではなくて、いじめられる側はそれなりの生存の方法で、「勝たない」けど「負けでもない」方法を探していったように思う。ちょっくら気晴らしに家出したりすると、自分を囲む世界など狭すぎるブロイラーの鶏舎みたいなもんにすぎないことも後でわかる。そして防御の方法としては、今でも自分の「偏愛する奇矯なもの(笑)が何か」について、血縁だろうが他人だろうが容易に立ち入らせない、日頃ほとんど人に打ち明けないで脳内で熟成させる(最近の言葉で言うとツンデレというやつか)秘密主義の癖と、仕事の顔と趣味の顔とを分ける生活が身についてしまって、人の評価は、自分が好きに生きるためのある程度の妥協点の駆け引きの目安でしかないと思ってしまう。なぜならそんなもんよりもっと強力な、時に自分を極めて非人情にしてしまうくらいに、否応なく陥ってしまう抵抗しがたい快楽的刺激があって、味わないまま死んだら未練で死ぬにも死にきれず、そっちの方が人生では(刹那的であろうと)最高に大事だと思ってしまうからである(苦笑)。もちろんこれから先死にたくなるようなことも起こるのだろうが、そうなったところで何も誇るものなどない、所詮私は無用者の不良だから(^^)そう自分で解ってそう行こうと考えるようになってきたから。それにしても音楽や美術や文学をはじめとする諸芸術というものを好いたおかげで(腹が一杯になるものでも金儲けになるものでも人から誉められるものでも全然無いが)自分は生きる上で本当に救われてきているのだろうと思うし、そんなことは長年当然のように慣れてしまったので大した「戦い」だとも気づかなくなってしまったが……だから、そういうふうな意味の事をちらっとケリーが話してくれた場所、思い出の第一次タンクが終了というニュースを今朝は感慨深く見るわけだ。そう「青い気持ち」で思い出すとそれって確かに今みたいなご時勢じゃ「戦い」なんかな。ね、「今日の日本社会全体に何が欠如しているのか」なんて時事的にも無縁な話でもなさそうでしょ(^^)。皮肉にもCXの方でちょこっと記念に映像も録れた。新聞記事もまだあくまでも「抱負」って感じの文章に思えたが、まあ正直言えばとにかくソロでもグループでもいずれにせよ提灯記事の煽て関係なしに本当の意味で「いい仕事してますね」ってことをやってくれれば見ている方も美味しくっていいや、と祈るばかりなのである。直接の紙面は夜中に慌てて思い出してコンビニで買う。なんか回を重ねるたびに写真に撮られる格好がサイケな感じになってくなあ(笑)で、今日は相方様の追加最終日こちらもおつかれさまです。これは明朝にご期待というところでしょう。桜が残るってのは面白いかもしんない。(20061030)
○ほらみろ。やっぱり外部評価主義の蔓延の弊害だろう。校長先生みたいな偉いはずの先生すら自分の学校の生徒を何人偏差値高い大学に入学させたかで評定されて、校長としての成績が評価されて低いとCとかDとかEとかついていたたまれないっていうんでしょ。会社員は業務の評定で給料引くとか肩叩きとかの口実に使われるし、テレビ番組は視聴率リサーチが点数をつけて広告出資額に響くし、音楽をやりたくてCD作ればオリコンが成績をつけると。世の中全部そういうことなのか。点数主義だとみんな優等生になりたがるという、人の心ほど弱いものはないからね。…個人的にあくまでも私自身の考え方としては、他人のつける評価の基準なんて所詮他人様の程度の基準なんであって、結果的に良かろうと悪かろうと、偶然良くて人に優等と思われようが逆だろうが、結局最後には、自分の中でやりたいことなのか、中身として充実した仕事をできてるかが大事だと思うんですよ。長期的普遍的に見て「価値が残るか」っていうのもそこだろうし。まあそれは別としても、所詮他人な人から嫌われたからとか他人から悪い評価をつけられそうだからっていう理由で自分で自分を殺すっていうのが私にはできなさそうな気がする。そんな悪意に満ちた相手のことを自分が愛して服従しなきゃいけない義理がないし、そうしちゃうのは自分の中にその義理の基準が欠落してるか、よほど心身が衰弱していて思考と体が弱っていてさらに気の毒な状態だからではないだろうかとも考える。自分は小学校に上がるまで幼稚園とか保育園とかに行った事がなくて、その分おっとりして集団生活に慣れてなくて近所の園児出身徒党組連中から小中学校の時は格好の餌食としてこっぴどくいじめられまくったのだが、今思い出して、なぜ死なずに今まで生きてこられたのかと考えると、結局自分には自分の世界があって、そのimageで一人の時間も頭の中を一杯にすることができて(自己満足imagination上等)、それは親兄弟だろうと親友だろうと完全には共有できっこない、死ぬまでおそらく自分独りにしかわからない大事なものだ、と思った絶望を出発点にして、十数年以上長い時間をかけてようやく社会と折り合いをつけてこられたからかもしれない。勝ち負けで負けて人に死ねと言われてすぐ死ぬのではなくて、いじめられる側はそれなりの生存の方法で、「勝たない」けど「負けでもない」方法を探していったように思う。ちょっくら気晴らしに家出したりすると、自分を囲む世界など狭すぎるブロイラーの鶏舎みたいなもんにすぎないことも後でわかる。そして防御の方法としては、今でも自分の「偏愛する奇矯なもの(笑)が何か」について、血縁だろうが他人だろうが容易に立ち入らせない、日頃ほとんど人に打ち明けないで脳内で熟成させる(最近の言葉で言うとツンデレというやつか)秘密主義の癖と、仕事の顔と趣味の顔とを分ける生活が身についてしまって、人の評価は、自分が好きに生きるためのある程度の妥協点の駆け引きの目安でしかないと思ってしまう。なぜならそんなもんよりもっと強力な、時に自分を極めて非人情にしてしまうくらいに、否応なく陥ってしまう抵抗しがたい快楽的刺激があって、味わないまま死んだら未練で死ぬにも死にきれず、そっちの方が人生では(刹那的であろうと)最高に大事だと思ってしまうからである(苦笑)。もちろんこれから先死にたくなるようなことも起こるのだろうが、そうなったところで何も誇るものなどない、所詮私は無用者の不良だから(^^)そう自分で解ってそう行こうと考えるようになってきたから。それにしても音楽や美術や文学をはじめとする諸芸術というものを好いたおかげで(腹が一杯になるものでも金儲けになるものでも人から誉められるものでも全然無いが)自分は生きる上で本当に救われてきているのだろうと思うし、そんなことは長年当然のように慣れてしまったので大した「戦い」だとも気づかなくなってしまったが……だから、そういうふうな意味の事をちらっとケリーが話してくれた場所、思い出の第一次タンクが終了というニュースを今朝は感慨深く見るわけだ。そう「青い気持ち」で思い出すとそれって確かに今みたいなご時勢じゃ「戦い」なんかな。ね、「今日の日本社会全体に何が欠如しているのか」なんて時事的にも無縁な話でもなさそうでしょ(^^)。皮肉にもCXの方でちょこっと記念に映像も録れた。新聞記事もまだあくまでも「抱負」って感じの文章に思えたが、まあ正直言えばとにかくソロでもグループでもいずれにせよ提灯記事の煽て関係なしに本当の意味で「いい仕事してますね」ってことをやってくれれば見ている方も美味しくっていいや、と祈るばかりなのである。直接の紙面は夜中に慌てて思い出してコンビニで買う。なんか回を重ねるたびに写真に撮られる格好がサイケな感じになってくなあ(笑)で、今日は相方様の追加最終日こちらもおつかれさまです。これは明朝にご期待というところでしょう。桜が残るってのは面白いかもしんない。(20061030)
○30日新聞記事:29日夜のENDLICHERI☆ENDLICHERI横浜・千秋楽の関係記事が掲載されています。1会場で一年間通算100回公演が達成され、桜の木は残るそうです。
日刊「~千秋楽」(http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20061029-110215.html)
スポニチ「~次は地方」(http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2006/10/30/06.html)
報知「~同一会場年間最多」(http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20061030-OHT1T00051.htm)
サンスポ「~第2弾にも意欲」(http://www.sanspo.com/geino/top/gt200610/gt2006103005.html)
デイリー「~みなとみらい卒業公演」(http://www.daily.co.jp/gossip/2006/10/30/0000153253.shtml)
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