〇さてと帰るか。キイロイトリ「オソク ナッチャイ マシタ」
本日のBGM:
映画「ギリシャに消えた嘘(The Two Faces of January)」(2014, 英仏米)
音楽:Alberto Iglesias (original motion picture soundtrack)
ええと全く予習せず、音楽と制作(Robyn Slovo)が「裏切りのサーカス」の人、ってことだけで見に行きました(爆)。1時間36分だから超大作というのではないが密度的にちょうどいいのかもしれん。いややっぱアルベルト・イグレシアスを、淡々としたサスペンス映画で、劇場で聴くっていいわw(※2012年に見てから「George Smiley」その他のサントラをかなり仕事中BGMにしてたために脳内に結構染みちゃってる者としてw←覚えちゃってるから、テレビでBGMに流れてもすぐ気づくw)
これは(我々のようなミステリーチャンネル常連には)チラシとパンフは映画見終わった後に見た方がいいかもしれませんな。予習ネタバレなしで見始めて充分わかるし、難解ではない。(後半の方なんか、わりとそうなりそうな流れだな、ってなってきて、そうなったか、という気持ちにはなる。)長い時間の映画でもない。ただ、かなり細かいところにも意味をもたせている。だから未見の人にはストーリーは教えられないが、それでも見終わってからも2回目に見ると、またきっといろいろなカットが伏線だのあとから響いてくるのだのがたくさんわかってきて面白そうだな、と思う。TTSSにもそんなところがあったが、そういうのがプロデューサーのロビン・ソロヴォらしいのだろうか。台詞が最少で、画面のカットが捉える「机の上のもの」「人の視線」「指の動き」「アクセサリー」なんかがどれも「意味深」で、何かを示している。そう集中してみるなら、96分がいいんだろう。だからこの映画を見ていて、ただの観光映画っていう印象は不思議としなかった(派手な「ツーリスト」の方はコメディタッチでもありそのへんが大味な感じだったが)。
もちろんロケーションは綺麗。そして、確かに主要な3人の役が微妙なバランスで進む。ガイドの人も奥さんの人もいいが、ヴィゴ・モーテンセンてこういう感じの味な人なんですね。この人も体幹ができてるのだろうか、年上に見えるようでいて、妻がいて若く見える。そして色気もあって渋い。(事前学習なく、ぱっと見もっと年齢の若い俳優の人かと思ってましたが、意外でした!)そしてそのくらいの年齢だから、この配役に効果的なのね、というところもある。しかし、ここまでかっこいいと逆に不安を煽られる。
※個人的事情からいうと、実は先週今週とずっとドラマ「ウィッチャーの事件簿」(AXNミステリー)を4本見続けてる後遺症もあってか、パディ・コンシダインとは対極にありそうなスタイルの「やっぱしこういう見るからに色男な金持ちな男性は…ちょっとな…」という気分もしてこなくもない(爆)。言っちゃあなんだけど、例えばこれじゃリノ・ヴァンチュラみたいなのともタイプがぜんぜんちがうだろうしw。
だが、そんな不穏さをどことなく漂わせてる感じなのに、いい人なのかどうなのかと思わせて、見ているとこっちも安心できないまま、なんだかその気持ちもわかってくるような気がするという妙。粗暴なのか繊細なのか。なんだこの動揺感は。焦るし必死なようでいて突然わりきったような突き放しとか、わかるようでいて本当は何考えてるのか誰にもわからないような感じとか。それでもって、何かありそうなガイド役の青年とのかけあいも、奥さんとの会話も、どんどん微妙になっていく。観客は、彼らの言葉の端々から、彼らそれぞれの元々の出自や過去を感じとると同時に、この「緊急事態的な状況」の中で陥っているであろう精神状態を読み取っていくのである。
見終わってから、原作(実はまだ読んでない)がパトリシア・ハイスミスとチラシで見て思い出して、ああ、それだとアラン・ドロン(この人も、そういう「どこかすさんだ」感じの虚無な表情が映画でふっと出る瞬間がある)みたいなフィルム・ノワール系なわけか、と納得。1960年代設定のファッションの上品なかっこよさもあり。どんなに美しい肉体を持っていても男女とも「やたらと露出しない」節度ある「装い」が大事(そして「きちっとしないといけない」必然的な理由があるのですよ)。その上での「酒と煙草」の渋さの極致みたいなのがある。(※21世紀の今は逆で、酒と煙草は攻撃されて肩身が狭く、その一方で、人前で筋肉だの肉体だのを誇って見せつける下品?な露出は、巷にまかりとおってますね、男女とも。)
で、思い出すと、隠蔽とかインチキの細かいトリックとか、どんどんどつぼにはまるとか、わりと古典的な映画の文法を、この作品も踏まえてるように思う。舞台が「ギリシャ」であること、英語の人にとっても「難しい言語」とよく言われるギリシャ語のことの意味も、次第に絡まってきている。
そういうドラマをAlberto IglesiasのBGMでもってっちゃうんだからたまりませんw。この人の音楽の映画をすべて見ているわけではないが、この手の大人のスリラー「心理劇」(映画というと、自分はわりとそういう系のしか見に出かけないなw)だと、バーナード・ハーマン的な煽りとはまた違った雰囲気で、ほんとにじわじわと、この流麗な室内楽的管弦楽とピアノの静かにひたひた迫る緊張感の感じに、目に映る景色が次第にはまってくるのだ。
このBGMもまた、入手してデジタル・ウォークマンに入れたりして聴きながら仕事してると、それで視界に入ってくる日常の風景までがどんどん不穏でスリリングな空間の気分になりそうw。(20150501)