「苧麻」はイラクサ科カラムシ 「苧麻 華中・華南が産地」知らずに過ごした小学生時代250222
「苧麻」は「ちょま」と読み、「イラクサ科カラムシ 学名:Boehmeria nivea var. nipononivea」のこと、ですかー。
小学6年生か中学1年の頃と記憶。教科書に「苧麻 華中・華南が産地」と登場した。
小学校低学年のころ、地図で見て、昔の教科書で読んだ「満州」がサッパリ書いていないこと。
代わって「華北・渦中・華南、東北」の地域区分にも<なじめ>なかった。
加えて「苧麻」の正確な読みを、理解できなかった。「おま」と読んでみたり、「ちょあさ」と読むのか、迷ったものだ。
思えば、教員から説明を受けた記憶なく、教科書を読み上げさせられることもなかった。
『漢和辞典』で語句を引いた記憶もない。学部に入って、柳田国男著の「木綿以前のこと」を引用した、読売新聞社『日本の歴史』シリーズのなかに、庶民が来ていた衣服は麻。
木綿生活が始まって、それは「衣革命」と読み、実に歴史学の<おもしろさ>を実感。
しかし、その麻と「苧麻」は結びつかず、なにやら、「苧麻」とはテントや船帆に活用。
そんな知識が<おぼろげ>ながら、頭に浮かんできていたと、おもう。
今、「苧麻」は「ちょま」と読み、「イラクサ科カラムシ」と知る。
すると、「イラクサ、ウルチカソウ、ネットル [英]Nettle [学名]Urtica Thunbergiana Sieb.et.Zucc、Urtica spp」と知り、にわかに別な記憶に連なってきた。、
イラクサ。若芽のうちは「摘んで、おひたし」。祖母から「戦時中、集荷して乾燥し、生地をつくり洋服に」と聞かされた。
聞かされたのみではない。着せられた。特に、夏。小学校休学前の、モノのない時代。
着用すると半袖シャツから無出しになった<腕の皮膚>に、イラクサの繊維が直接降れる。
「チカチカ」「ムズムズ」。その独特の刺激は、なかなか苦痛。やがて、皮膚は感じなくなるも、
食用に、採草もトゲと言うか、手を伸ばして<摘もう>とすると、指策に<こたえた>、
長く、庶民の衣服の原材料であった、麻。神事の神具にも訳だっている。そう聞かされ庶民と麻の、実に長きにわたる付き合いに思いをはせた。
250222朝 BS4K nhk 放送「美の壺 麻」から、往時の記憶と国民生活との深い関係。