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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

文学作品のなかで川崎舟=小林多喜二『蟹工船』 ぶぶる15th

2025年01月09日 12時52分35秒 | 季節
 文学作品のなかで川崎舟=小林多喜二『蟹工船』 ぶぶる15th

 靄もやが下りていた。何時も厳しく機械的に組合わさっている通風パイプ、煙筒チェムニー、ウインチの腕、吊つり下がっている川崎船、デッキの手すり、などが、薄ぼんやり輪廓をぼかして、今までにない親しみをもって見えていた。柔かい、生ぬるい空気が、頬ほおを撫なでて流れる。――こんな夜はめずらしかった。
 トモのハッチに近く、蟹の脳味噌の匂いがムッとくる。網が山のように積つまさっている間に、高さの跛びっこな二つの影が佇たたずんでいた。

 ウインチがガラガラとなって、川崎船が下がってきた。丁度その下に漁夫が四人程居て、ウインチの腕が短いので、下りてくる川崎船をデッキの外側に押してやって、海までそれが下りれるようにしてやっていた。――よく危いことがあった。ボロ船のウインチは、脚気かっけの膝ひざのようにギクシャクとしていた。ワイヤーを巻いている歯車の工合で、グイと片方のワイヤーだけが跛びっこにのびる。川崎船が燻製鰊くんせいにしんのように、すっかり斜めにブラ下がってしまうことがある。その時、不意を喰くらって、下にいた漁夫がよく怪我けがをした。――その朝それがあった。「あッ、危い!」誰か叫んだ。真上からタタキのめされて、下の漁夫の首が胸の中に、杭くいのように入り込んでしまった。

 漁夫達は船医のところへ抱かかえこんだ。彼等のうちで、今ではハッキリ監督などに対して「畜生!」と思っている者等は、医者に「診断書」を書いて貰うように頼むことにした。監督は蛇に人間の皮をきせたような奴だから、何んとかキット難くせを「ぬかす」に違いなかった。その時の抗議のために診断書は必要だった。それに船医は割合漁夫や船員に同情を持っていた。

  漁夫達は、飛んでもないものだ、と云いながら、その「赤化運動」に好奇心を持ち出していた。
 嵐の時もそうだが、霧が深くなると、川崎船を呼ぶために、本船では絶え間なしに汽笛を鳴らした。巾はば広い、牛の啼声なきごえのような汽笛が、水のように濃くこめた霧の中を一時間も二時間もなった。――然しそれでも、うまく帰って来れない川崎船があった。ところが、そんな時、仕事の苦しさからワザと見当を失った振りをして、カムサツカに漂流したものがあった。秘密に時々あった。ロシアの領海内に入って、漁をするようになってから、予あらかじめ陸に見当をつけて置くと、案外容易く、その漂流が出来た。その連中も「赤化」のことを聞いてくるものがあった。
 
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