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「人間力」定義=「社会を構成し運営」「自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」030410

2025年02月10日 13時46分00秒 | 季節
  「人間力」定義=「社会を構成し運営」「自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」030410

 人間力。このキーワード、いつ、どこで、なんのために。

 答えてくれるのは、内閣府が諮った人間力戦略研究会がまとめた『人間力戦略研究報告書』(2003年4月10日)。
 「はじめに」部分の4ページ。「■人間力をどうとらえるか」の項で「本委員会の採用した人間力の定義とは」が、ある。
 その述べるところは、「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」。 https://www5.cao.go.jp/keizai1/2004/ningenryoku/0410houkoku.pdf

 企業は休職希望の若者に、「即戦力」を求める。
 そこで「即戦力とは何ぞや」。そこのところを尋ねてみるに、戻ってきた答えの一つが「人間力」。
 求められる期待像。それって、「人間力=着想力、開発・提案力、付加価値創造力」と
翻訳すべきか、と。筆者は考える。

 そもそもなぜ「人間力」を、若者に期待することになったのか。
 前掲『報告書』は記載。「文部科学省は、近年の教育改革の中で、自ら学び、自ら考える力などの『生きる力』という理念を提唱してきた」と。
 続けて「人間力」とは、「この理念をさらに発展させ、具体化したものとしてとらえることができ」。
 「現実の社会に生き、社会をつくる人間をモデルとし、その資質・能力を『人間力』として考える」。

 確かにそうであろう。ただ、そうしたことを政権の中枢にある内閣府に言ってほしくない。
 なぜなら。2,003年と言えば。バブルがハジケて政権は金融機関の救済に忙しかった。
 地方財政の悪化が始まり、国家の教育投資はOECD加盟国中、最下位にあった。
 成長路線はシボミ、国民総所得の低迷が始まっていた。日本の経済大国の地位が揺らぎはじめていた。

 「次世代に期待」では遅い。公共に頼るはすでに出来ず、なにより<企業人として育てる職業教育の余裕なし>の段階ではなかった、か。
 前段の「社会を構成し運営する」を教育界に求めるのは否定しない。しかし後段の「自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」。
 それは政治家と企業人、雇用勤労者にまず要求されて然るべし。積年、思い続けてきたが。
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