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『魏志倭人伝』・邪馬台国・卑弥呼 1986年発掘「吉野ケ里遺跡」250210
「調査はもう良いでしょう、吉野ケ里遺跡に案内します、北海道で<国立九州博物館建設>の啓発をお願い」。
調査先で告げられ、職員お二人に同道されて、自家用車で吉野ケ里遺跡に案内された。
1991年10月23日のことであったと思う。福岡市の研究会で巡見がわりに佐賀市に向かった。
鍋島家旧蔵絵図にある一点を、写真撮影する予定で赴いた。佐賀入りして二日目の午後のことだ。
今、計測するに13.2キロ、車で30分の道のり。史跡の保存がすすみ、墓壙・床柱穴、高床式住居復元。
とにかくそのスケールの大きさと、緻密さ・濃密さに圧倒された。
特別史跡に指定の吉野ケ里遺跡。所在地は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843。
東を田手川、西を三本松川に囲まれた一帯に広がる環濠集落。
環濠集落とは、「外敵の侵入を防ぐために周りを柵で囲み、壕を巡らせた集落」「弥生時代の代表的な集落の形態」とされる。
吉野ケ里遺跡こそ、その代表例なのだ。
一昨日、「吉野ヶ里が燃えた 〜邪馬台国をめぐる平成の大フィーバー」NHKアナザーストーリー 初回放送日:2023年9月22日の再放送をみた。
思い巡らすにすでに34年前のことになる。見学時の驚きと、新鮮さ、教科書に読んだ弥生文化を、今にしてたどっていた、のだ。
遺跡所在地の近くに育った専門職員が、工業団地造成対象地なって土地買収計画が動き出した時点から、始まる。
開発地の行政発掘調査が86年にスタート。発掘が進むにつれて、その<意味の重要性>を確認する。
発掘調査が終わると、造成予定地は埋め戻される。なんとか、国の機関の専門家に立ち会ってもらいたい。
専門家の来県は埋め戻し工事予定日から7日後のこと。現地の専門家は頭をさげる。
「なんとしても見てもらいたい人が居る、それまで工事を止めて・・・」。
工事担当の責任者は、その懇請を受け入れる。そのやり取りが、当の本人同士の会話で紹介。
89年2月。朝日新聞とNHKがスクープ。激しい報道合戦が展開。
地元新聞の記者は「当初から小まめに取材を積み重ねるも、どうしても『魏志倭人伝・邪馬台国・卑弥呼』まで、思い至らなかった」。
悔しがる。案内されたのは、両社の大スクープから二年半後。余韻、冷めきらぬうちであった。
「調査はもう良いでしょう、吉野ケ里遺跡に案内します、北海道で<国立九州博物館建設>の啓発をお願い」。
調査先で告げられ、職員お二人に同道されて、自家用車で吉野ケ里遺跡に案内された。
1991年10月23日のことであったと思う。福岡市の研究会で巡見がわりに佐賀市に向かった。
鍋島家旧蔵絵図にある一点を、写真撮影する予定で赴いた。佐賀入りして二日目の午後のことだ。
今、計測するに13.2キロ、車で30分の道のり。史跡の保存がすすみ、墓壙・床柱穴、高床式住居復元。
とにかくそのスケールの大きさと、緻密さ・濃密さに圧倒された。
特別史跡に指定の吉野ケ里遺跡。所在地は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843。
東を田手川、西を三本松川に囲まれた一帯に広がる環濠集落。
環濠集落とは、「外敵の侵入を防ぐために周りを柵で囲み、壕を巡らせた集落」「弥生時代の代表的な集落の形態」とされる。
吉野ケ里遺跡こそ、その代表例なのだ。
一昨日、「吉野ヶ里が燃えた 〜邪馬台国をめぐる平成の大フィーバー」NHKアナザーストーリー 初回放送日:2023年9月22日の再放送をみた。
思い巡らすにすでに34年前のことになる。見学時の驚きと、新鮮さ、教科書に読んだ弥生文化を、今にしてたどっていた、のだ。
遺跡所在地の近くに育った専門職員が、工業団地造成対象地なって土地買収計画が動き出した時点から、始まる。
開発地の行政発掘調査が86年にスタート。発掘が進むにつれて、その<意味の重要性>を確認する。
発掘調査が終わると、造成予定地は埋め戻される。なんとか、国の機関の専門家に立ち会ってもらいたい。
専門家の来県は埋め戻し工事予定日から7日後のこと。現地の専門家は頭をさげる。
「なんとしても見てもらいたい人が居る、それまで工事を止めて・・・」。
工事担当の責任者は、その懇請を受け入れる。そのやり取りが、当の本人同士の会話で紹介。
89年2月。朝日新聞とNHKがスクープ。激しい報道合戦が展開。
地元新聞の記者は「当初から小まめに取材を積み重ねるも、どうしても『魏志倭人伝・邪馬台国・卑弥呼』まで、思い至らなかった」。
悔しがる。案内されたのは、両社の大スクープから二年半後。余韻、冷めきらぬうちであった。
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