以下は前半1から12までを並べたものだが、なぜ前半を後にしたかというと、このグループには不審な点があるからである。
まず正月の皇居前の参賀の軍人、二月の豆撒き、三月夜桜で特に問題はない。
四月の潮干狩り、五月鯉幟、六月夏祭りでいいのだが、四五月だけの上部にタイトルなどの記されるはずの色紙があるのはなぜか。
七月の川開きの花火、八月の水垢離、九月の花が不明だが特別問題はなさそうである。
以下三点が問題で、まず十月は紅葉があるので季節はいいとして 、背後の父娘と望遠鏡を覗いている老人、手前の黒紋付の女性二人、その手つきなど季節に結びついた何の場面か見当がつかない。
次の十一月十二月に大掃除と宴会というのは十二月一月の間違いではないか。暮れの宴会は大掃除の後の忘年会ということも考えられようが、背後の飾り付けや紋付姿などは新年会的であるし、煤払いは説明つかない。つまりこのセットは一月が二枚で十一月が欠けている不完全なものと言えよう。
もしかするとこのセットは、三月の夜桜も構図が異なっているし、別々なものを寄せ集めたものかもしれない。
この昇雲(明治・大正・昭和羅かけての浮世絵師、風俗画家)の絵24 点には通し番号が振られているだけでタイトルが無いが、四季月々の女性の姿を二年に亘って描いているようなので、勝手な題を付けておいた。
本日は後半の13から24まで十二枚で正月初詣の餅花から暮れの餅つきまでだが、現在の暦感覚ではなく旧暦一か月遅れとなっているようである。
◎ 古代模様 紫式部、清少納言、仏御前の三女性を描いたものだが、仏御前が紫清と組み合わされた理由が分らない。
紫式部
清少納言
仏御前
◎ 江戸の慶長から天保までの十の時代の女性の姿を描いたものだが、考証的に正しいものかは分らない。
慶長
寛永・正保
貞応・万治
「七福神」は「七、福神」ではなく「七福、神」が正しいらしく、「七つの福」に「七柱の神」を当てたようである。
その「七福」なるものは「仁王経」の「七難即滅 七福即生」からきているそうで 「寿命、有福、人望、清廉、威厳、愛敬、大量」のこととされる。
寿命 長寿を授ける寿老人
有福 富、裕福の大黒天
人望 叡智 仁徳の福禄寿
清廉 正直、律義を旨とする、現政治家に最も必要な恵比寿
威厳 ずばり毘沙門天
愛敬 ズバリ弁天
大量 度量の広い布袋 あの袋は「堪忍袋」だそうである。
なお七難とし「日月異変、星の異変、風害、水害、旱魃、火難、盗難」のこと。、
喜多川歌麿 七福神と子供たち
歌川芳藤 七福神の正月
無名氏 七悪人と十二支
無名氏 七福神と金の成る木
勝川春山
菊川英山 「子供七福神」
今日は小寒、それに仕事始めなど何時までも正月気分ではいられないが、まあ松の内の明日までは ということで宝船を目出度く七点。
画中の文字の多くは 前後どちらから読んでも同じ文になる回文歌。
長き夜のとおのねぶりの皆目覚め波乗り舟の音のよきかな
歌川豊春
歌川広重
歌川貞虎
柴田是真
野田鳩甫
作者不明
作者不明
特別付録 職人宝船 大工・左官・鳶職など
この場合の「七福」は所謂七福神とは違って七つの社に祀られている弁天を参詣する弁天巡りのことである。
江戸の人達は信仰と行楽を兼ねて、吉日に複数の寺社巡りをよくやったらしい。それには「七福神」とか「五色不動」という纏まった内容で散在している寺社が好都合である。この七福弁天は江戸下町地域の弁天様である。
上野不忍弁
浅草楼上弁天
浅草多福弁天
向島長命寺内弁天
深川八幡内弁天
深川洲崎弁天
本所一つ目弁天
縁起のいい奇麗どころの女神。
◎ ラクシュミー インドの「幸運・美・富・豊穣」の神。
上のラクシュミーが日本に渡来し「吉祥天」となる。
◎ サラスヴァティー 学問・芸術・技芸の神。
右端は上記二柱にとシヴァ神の妻「パールヴァティ」の三美神。
サラスヴァティーの変じた弁財天
♬ もういくつ寝るとお正月。お正月には凧あげて独楽を回して遊びましょ。早く来い来いお正月。 男児
もういくつ寝るとお正月。お正月には鞠ついて追羽根ついて遊びましょ。早く来い来いお正月。♬ 女児
以前の子供たち、特に女の子の正月の姿を描いたのが以下の絵である。いや子供ばかりて゜はない。