トランプのサイズとしては基本的な「ブリッジサイズ」とやや幅が広い「ポーカーサイズ」が普通だが、もっと細長いカードが稀に見られる。これは多分タロットカードからきているのだと思う。
これは以前に扱っている煙草のカードで、例外的なものだろう。
この極端に細長いものは、実際のカードではなく、イラストとして描かれたものではなかろうか。
これでは扱いにくいし、折れ曲がりやすかろう。
さぁさぁ、ご用とお急ぎでないお方は、寄っておいで、見にお出で。手前、取り出したる一枚のポスター写真。
♬ さよならも言えず泣いていた、私の「オードリー」子の「ティファニーで朝食を」の映画のポスターだよ。
内のカミサンよりチョッピリきれいですてきだね。
さぁーて、お立会い、この写真、実はこの広い宇宙でたったの一枚しか存在しない ここでしか見られない貴重な写真なんだよ。
私はね、古い人間ですから「見れない」なんて舌足らずの日本語は使いませんよ。
え? なに? このポスターは以前あちこちで見たし、写真も見たことがあるってか?
いぃーやそれはあんたの見間違い、それはただの普通の写真、手前の写真は似てはいるけどそんじょそこらの写真とは明らかな違いがあるんだ。もう一遍よぉーく見ておくれ。
まだ、分らない? 無理もないや、一目で分るようなら、あんたの観察力はシャーロック・ホームズか「昆虫記」のファーブル先生並みだな。
それじゃね、普通の写真を下に出すから、前頭葉を働かせてよぉーっく見比べておくれ。
ね、わかったでしょ。
じゃ 「ティファニーで朝食を、オードリーとコーヒーを」。
83番から最後100番まで。配列の都合で94番が三つ程前にきている。
ながらへば ・ 夜もすがら ・ 嘆けとて
玉の緒よ・難波江の・村雨の
ここから葵はなくなって最後まで源氏香が二段重ねになっている。
ながからむ ・ 見せばやな ・ みよし野の
世の中は・我が袖は・きりぎりす
おほけなく ・ 花さそふ ・ 来ぬ人を
百敷や・人も惜し・風そよぐ
三枚目69番から杏葉牡丹紋様に代って源氏香の紋様になる。
国貞は、江戸時代のベストセラー柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』の挿絵を描いており、国貞の挿絵も評判となって彼の代表作の一つであろうから、源氏香の紋様があれば『偐紫』の挿絵との関連は自ずと明らかである。ただそれだけに「百人一首」本来の内容からは離れたものになる。
春の夜の ・ 心にも ・ 嵐吹く ・ 寂しさに
夕されば ・ 音に聞く ・ 高砂の ・ 憂かりける
下段四枚目だけ、小間絵の冊子は人物の頭上に置かれていない。
契りおきし ・ 和田の原漕ぎいでて ・ 瀬をはやみ ・ 淡路島
ここから源氏香の周りに葵の紋様が加えられている。三枚目は唯一の男性光氏。
思ひ侘び ・ ほととぎす ・ 秋風に ・ 世の中よ
五連続二組。下町対山手、町娘対武家娘、カジュアル対フォーマル、ポピュラー対クラシックのクインテット競艶。
嘆きつつ・明けぬれば・かくとだに・君がため惜しからざりし・風をいたみ
各楽器 上 太鼓、鼓、鉦、笛、三味線
下 月琴、羯鼓、琵琶、木琴[当時の名称不明、インドネシア渡りのガンバンという楽器]、笙
なお、下の五点だけ大和絵などの雲、霞の紋様が用いられている。
有馬山・めぐりあひて・あらざらん・瀧の音は・忘れじの
ここから十番の背景には「杏葉牡丹」という家紋四個を円形にした紋様が使われる。
やすらはで ・ 大江山 ・ いにしへの ・ 夜をこめて
今はただ ・ 朝ぼらけ宇治の ・ うらみわび ・ もろともに
※ 註
下は木琴の浮世絵で歌麿作だというが歌麿らしくない。また手前に「本琴」の文字が見えるが「本」は「木」との取り違えではないか。
しかし日本人がこんな簡単な間違いをするだろうか。
右は「杏葉牡丹 ぎょうようぼたん」家紋の一例
本日は二つの留意点がある。
まず一段目の右二枚38と39は配置の都合で前になったのだが、下の三枚続きの後になるはずものである。
注意すべきはここから小間絵の形式が、巻物と読み札取り札ではなく冊子形式になり歌の番号は短冊になったということである。
山河に・朝ぼらけ 忘らるる ・ 浅茅生の
有明の・白露に・夏の夜は 忍ぶれど
恋すてふ ・ 契りきな ・ あひ見ての ・ 逢ふことの
注意すべき二つ目は下三枚目47番だけ何故か元の巻物・歌留多形式に戻っていることである。
あはれとも ・ 由良のとを ・ み垣守 ・ 八重葎
この辺りから、二枚続き、三枚続きの絵が頻繁に出てくるようになって、当然和歌の内容との関連は見られなくなる。
当ブログでは絵の配列配置の都合で、通常の百人一首の順を変えることがあることを御承知願いたい。尤も元の作品そのものが何箇所か順が変わっているところがあるのだが・・・・。また元は日本式の右から左の順に並んでいるので当然このブログでは其処の順は反対になる。例えば一段目は19,18,17と逆順で、跳んで22となる。22も幼児を抱いた母親の絵で続きもののように見えるがこれだけが履物を履いていて屋外なので連続しない。
難波潟・住のえの・千早ぶる・ 吹くからに
今来むと・侘びぬれば このたびは・月見れば
小倉山・名にし負はば 山里は・みかの原
心あてに 人はいさ・誰をかも・久方の光
今週は国貞の百枚揃いの大物を全作予定している。
上掲はこの作品の豆本で、数年前に作ったものの画質が良くなかったのだが、最近比較的見苦しくない画像が入手出来たので、先日全作を交換して作り直した完全改訂版である。
タイトルから、百人一首各歌の内容を江戸風に見立てた画集のように思われるが、そうした作品は始めの方で、やがて無関係な過去の作品が使われたりして国貞総集編のような体裁のものになってゆく。
本日の作品のような、読み札と取り札、巻子本形式の解説と、「衣干すてふ」と衣裳を手にする女、「紅葉踏みわけ」の紅葉狩りの女といった歌の内容に関連させたスタイルが当初の基本の形であったようだ。この関連性を見付けることも作者との知恵比べと言った鑑賞者の楽しみであったらしい。
秋の田の ・ 春過ぎて ・ 足引きの ・ 田子の浦に
奥山に ・ かささぎの ・ 天の原 ・ 我が庵は
花の色は ・ これやこの ・ わたのはら ・ 天つ風
筑波嶺の ・ 陸奥の ・君がため ・ 立ちかれ
歌川国貞/難波屋おきた ・ 鈴木春信/笠森鍵屋お仙 ・ 歌川豊国/高嶋おひさ、難波屋おきた
※ 左は既出の「江戸百人美女」の「浅草寺」で、浅草の茶屋女とくれば「おきた」と江戸人は了解済みなのである。
豊国の「三幅対」は富本豊雛が欠けているが、おひさとおきたの名が記されていないのに二人を特定する根拠は何かというと、二人の持つ「団扇」に描かれた家紋である。
※ 因みに歌麿描く三美女を再掲載する。一見名前が見当たらないが上隅の小間絵が名前になっている。
コーヒーでも飲みながら「絵解き」をしてみてください。