金曜日の仕事を終えました。
週末なんです。
ビートルズよりワイルドで
http://www.youtube.com/watch?v=lfcisnVHtA0&feature=related
皆 若かった
http://www.youtube.com/watch?v=DP2VyquMAaM&feature=related
ストーンズもヒットしてましたが
僕はこれが ケッコウ好きでした。(↓貼り直しました)
http://www.youtube.com/watch?v=aSOaoPDO16Y&feature=related
明日は土曜日ですから シカゴでも
http://www.youtube.com/watch?v=nWxA3e9f6rY
友人達や YouTube に出会わなかったなら みんな記憶の彼方に埋もれて
あの頃も曲も思い出すことは無かったかも知れません。
当時の友人に聞いたマジックは(彼の知人の話なんですが)
得意なのは大規模なイルージョンでなく見事なテーブルマジックです。
当時は今のカラオケ同様に当たり前のように
ドコにでもジュークボックスが在ったんです。
知人は設置、修理の他に集金業務もしてたそうで
ボックスの中の100円玉を数える時に手の平の上に
10枚のコインを載せて店の管理者と確認したそうです。
次に一緒に数えた10枚のコインをテーブルの上に
積み上げて小さなシルバータワーを作るんです。
タワーの隣に次々と同じ高さのコインタワーを並べて
10枚以下の端数となったコインとタワーの本数を
再び客である店の人と確認してサインをもらい終了。
ただ 知人は最初に数えた10枚のコインをテーブルに積む時に
手の甲からは透視できない手の平の中に1枚のコインを
残す名人だったそうでコインタワーの高さは10枚でなく9枚の
高さしかなかったそうです。
コインタワーが10本なら彼のギャラは1000円ですね。
当時のバイトで札幌ラーメン遅番なら3時間くらいの金額ですね。
僕も夜中のバイトをしていた経験がありますが
0時から6時までの(後片付けの1時間はサービス残業でした)
午前3時頃が一番疲れました。
当時は個人住宅で3階建ては殆んど無く
5階から見た真夜中の町は寝静まって街路灯だけが
夜の滑走路の誘導ランプのように見えました。
酔った客にマジで答えて先輩から注意されたこともありました。
高い処から見下ろす町の夜景は綺麗だとは思うんですが
何十年も経った今でも当時のにがいイメージをまだ逆転できずにいます。
あの頃、納得できない第一位は
僕がお客様にウイスキーと言われ
どの銘柄でシングルか?Wか?をたずねてカウンターに
戻ると・・・厳しく注意されたんです。
「あのなぁ~客に詳しく聞くな!」と
ほめられるドコロか厳しい注意。
納得いかずにナゼですかと反論すると
「ただウイスキーと言われたら一番高い価格のウイスキーで
量はWに決まってるんだ!」
それじゃ不親切じゃないかと思うし料金も違ってきます・・・
なおも僕が反論すると
「あのな 金持ってない奴が こんな真夜中に飲みに来るか!!!」
そう言われて僕も納得したんです。
真夜中に使うどころか金の為に働く若造だっていたんですからね。
札幌ラーメンは0時から3時までの遅番時給が350円。
僕が選んだバイトは0時から朝6時までで時給250円でした。
安いけど長いからトータルでは稼げたんです。
6時(有料)に終わってからゴミ出しなどの片付けが約1時間(無料)。
12月31日から元旦の朝まで働き父と弟の三人でお雑煮食べて
各自で初詣なんてしましたっけ。
新年 深夜のバイトは2日の夜から始まりました。
バイトを始めるのに一番苦労したのは僕の父の説得でした。
なぜバイトする必要があるのか?
父は納得がいかなかったようですが僕は社会勉強で通しました。
平日の夜中に多いお客は店がハネたホステスさんと客やボーイさん。
彼らにはよくカラカワレました。
混んでいてオーダーをカウンターがこなせず遅れ始めると
マダカ マダカの催促クレーム対応に追われます。
ある席の男が
「お兄ちゃんさぁ~ 遅すぎて 俺 酔い醒めちゃったから
水って頼んだけど 酒にして 酒!」
こんな時 サービスの水は後回しになりがちなんです。
男性とのやり取りを聞いていたホステスさん達は
大笑いしながら「悪いわね お兄ちゃん」
慌てた感じで僕はカウンターでグラスに日本酒のロックを
作ってもらって急いで持って行ったんです。
一口飲んだ男は
「うへっ!!!!」
「何だよ 本当の酒じゃねぇかー !!!」
「すいません 酒っておっしゃったから・・・」
下げた頭を床から見たら 噴出しそうな笑顔?
今度はホステスさん達が
「アンタが 酒って言ったんじゃないのォ~~」
ホステス軍団 水だと思って酒をがぶ飲みしてムセタ男を大笑い。
真面目なバイトのお兄ちゃんが 冗談通じずマイッタ様子で男納得。
もちろん僕は場を盛り上げて ついでに店の売上げも上げたからって
小さくガッツポーズなんてしませんでした。
店はボーリング場のフロアーの一角に在ったのでピンの倒れる音や
ザワツキをいつも感じてました。
ジュークボックスから何度も聞いた曲名は思い出せませんが
聞くと瞬時にコインを入れてた人の顔を思い出せそうです。
♪ 明日 この街で~
カウンターに向かっていると後ろのレーン客からの注文する合図が見えません。
すると またまた専務から僕は注意されます。
「油断するな!」
だって今カウンターにオーダー通していたんです!!
「背中でも後ろを見てろ!!!」
無理無理無理だ!!!!と思ったもんですが・・・
経験を積んでみると気配を感じるようになれたんです。
レーンが何本あったか忘れましたが端から端まで時々チェックしておけば
どんな客がオーダーするかが分かるようになりました。
すると全てのレーンを見る必要がなくなりますから疲れませんし
彼らのソロソロを判断できるようになったんです。
カウンターにどんな在庫が有るかも把握しました。
飲み物注文してメニューを見るお客様にスカサズ言いました。
「おつまみは何にいたしましょうか?」
客が決めかねていたら頭の中のストックリストの中で
カウンターにダブ付いているモノを勧めてみます。
「スライスチーズなんかイカガでしょう?」
100% 「じゃあソレ」で決まります。
ビールも「5~6本」と頼まれたら「6本」なんだ!!!と言われてました。
冬休みの間だけと始めたバイトの時給は250円でしたが
辞めてからも時々頼まれて応援に行った時の時給は1800円になりました。
時々 僕を気に入ったお客様にオゴッテもらう事もありましたが
弱い僕は飲むと赤くなり酔ってしまうので
専務は飲まずにお礼を言ってくれれば飲み物料金の一部を
僕の時給に加算するからと飲まないように頼まれました。
入った当時と後の応援時では専務の僕に対する態度は激変してたんです。
卒業したら俺の会社に来い・・・そう言ってくれました。
会社の本業は管財会社で三兄弟の末っ子だった専務が
提案して始めた店で僕はバイトしてたんです。
その後 店の経営者が変わって僕の水商売はソレっきりになりました。
そういえば専務の車を一緒に磨いてた朝、専務は言ったんです。
今は忙しくてもソロソロ撤退だなって。
代替わりして二年も経たないうちに店自体無くなりました。
専務ほど厳しい人は滅多に会いませんが
僕が卒業する頃に音信不通だった専務から電話があったと
父から聞きましたが不動産部門の責任者になった専務の下に
入っていたらトックに僕は死んでたような気がします。
もしも生き残ってたら今頃 ・ ・ ・ きっと不良中年になってましたね。
大きく元気な声だと我ながら思います。
病弱で長期欠席なんかもしてた小学校時代の僕を父は心配したのか中学は越境で浅草の先、蔵前に僕は行ったんです。
最初に気がついたのは僕の知ってる顔が一人も居なかったことでした。
内気、引っ込み思案、消極的では落ち込むばかり。
麻布の店に入った時は当然シンマイで作業の流れなど解らなかったんですがスタッフと同じように出来る事が一つ有りました。
ソレが声です。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」
オマエの声は大き過ぎる。
ウチは魚屋や八百屋じゃねんだから…
僕の声は疲れてくる夕方には更に大きくなったんです。
ある時 先輩に「疲れてないの?」と言われたんですが先輩は僕の性格や癖を知らなかったんです。
誰に負けても自分にだけは負けない…なんて修業時代は思ってました。