"... one flew east, one flew west,
one flew over the cuckoo's nest"
飛んでいるのはgooseです。gooseという言葉には様々な意味があり,ガチョウ(家禽),ガン(渡り鳥),間抜け(^^;!),人をつつく事(笑) そしてcuckoo(カッコー)は,他人の巣に自分の卵をちゃっかり産む鳥で,英語では「頭がおかしい」という意味もあります。そうそう,もしかして,今まで何でこの物語が「カッコーの巣」なのか不思議に思っていた方,そういう意味なんですよ。(汗)ちなみに,"fly(flew) over"も,「飛び超える、上空を飛ぶ、飛び出す」と,複数の異なる意味を持ったイディオムで,これもまたいろいろ考えさせられますね。本当に全ての言葉の複数の意味が全て引っ掛かるという,高級な言葉遊びの塊です。この本を読んだ仲間内で,「誰が東へ行ったの?誰が西?誰がカッコーの巣を飛び越えたの?」と話題になっていますが,実際,誰がどっちに飛んだのやら。。。(カッコーの巣を『飛び出した』のはChiefで間違いないでしょうが)
偶然にも昨日ROTKテレビ放映がありましたが,指輪物語との意外な共通点もありました。主人公ではない登場人物が物語を語るという手法です。(正確に言うと,指輪物語は全部ではなく,TTTとROTKが,主人公のフロドでなくサムの語りなのですが。) 逆に,主人公の視点で語られる物語の代表と言えば(私の少ない読書範囲(笑)では)ハリポタですね。
主人公自身または主人公の視点で語られる物語との違いは,‥私なりにできた解釈と言えば,普通の物語の場合,主人公は最後まで元気か,主人公が死んだら(汗)それで話は終り,‥というのが主人公の役割ですが,立ち向かう者の力があまりに大き過ぎ,自らの力を使い果たして弱りゆく主人公に代わって(汗;),誰かがその遺志を継いで,主役の座を乗っ取り,最後にどうなったのか伝えなくてはいけないという場合には,この手法なんだな,と思いました。(つまり,最後の1巻を残して去就が注目されるハリポタは,そういう結末にはならないという事ですかね(^^;))
これを読んで,まあ当たり前の事ですが,小説家にとって誰の視点で物語を語るかというのは,重要な戦略なんだなあと納得。
実はカッコーと指輪には,さらなる共通点もあるんですよ。アメリカで発売されたのもほぼ同時代(1960年代前半),カッコーはヒッピームーブメントの時代に愛された小説として超有名,て言うか,実は著者のKen Kesey自身が,「サイケデリックの元祖」と言われたカリスマヒッピーだったそうです。で,ご存知の方も多いと思いますが,指輪物語もヒッピーの流れに乗った当時の若者に愛され,ガンダルフを大統領に!なんてデモもあったそうな?? そもそもヒッピームーブメントの起きた大きな原因の1つが朝鮮戦争やベトナム戦争への反発。どちらの話も,戦争に対する強烈な批判が含まれていますから,うってつけだったのでしょう。
spark notesによれば,この本には,まだまだ私の気付かなかったいろいろな暗示やテーマが含まれているのだそうです。例えばMcMurphyの黒地に白の鯨のパンツは「白鯨」をもじったものなのだそう。小説も有名ですが,映画化は2回,特に2回目の1956年版はグレゴリー・ペック主演ですね。おっと,グレゴリー・ペックと言えばアラバマ物語と思ってましたが,こんなラッセル・クロウか誰かが似合いそうな役もやっていたのですね。興味ある方はどんなお話かチェックしてみて下さい。私はう~んなるほど~と思いました。
また,またEST用ベッドの形が十字架である事はイエス・キリストの十字架を暗示しているとの事。crucifixion(磔の刑)を意味します。私はハリポタでお馴染みのCruciatus Curse(磔の呪い)の語源がcrucifixionだったという事を始めて知りましたよ。ところでハリポタではCruciatus Curseを受けて人事不肖になった人の話がありましたよね? と,実は私はこれを知った事で,そのCruciatus Curseへの理解を深めたのでした。(そうそうハリポタとのつながりと言えば,Miss Ratchedに似たキャラクタも出てきましたね(笑))
‥という事で,普段読まないジャンルの本ではありましたが,普段読んでるジャンルの本に対する理解が一層深まるという,不思議な効果があった一冊でした。