Henry VIII: The King and His Court (Ballantine Reader's Circle) 価格:¥ 1,734(税込) 発売日:2002-10-29 |
王様の最初のお仕事は、政略結婚して息子を作り、跡取りを作ること‥だそうです。即物的(^^;)ですけど、当時イングランドという国はもちろんエリザベス1世が現れる前ですから、ヨーロッパの北の小国。政治的な安定が必要なんですね。(ホント現在のどっかの国の政治家にしかと聞いて欲しいですよねぇ。)
で、ヘンリー8世の最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンは、元々は長兄アーサーの奥さんだったというのは有名な史実ですが、ヘンリー7世は、アーサー王子の死後、キャサリンを放置したそうです。何故なら、キャサリンの両親はアラゴン王フェルディナンド2世と、カスティリア女王イサベラ1世(例のドン・ペドロの次女コンスタンスとジョン・オブ・ゴーントの孫娘。父方トラスタマラ家特有の赤毛でなかなか美人だったそうですよ)の娘だったのですが、1504年にイサベラ女王が亡くなり、キャサリンは単なる「アラゴン王の娘」になってしまったので、利用価値がないと判断されたようです。(厳しいねぇ~)
この父ちゃんの判断を無視した形で、兄の花嫁をヘンリー王子が頂いたわけですが、キャサリンは、ヘンリーと同様しっかり教育を受けていて、大変知性的、また語学にも堪能だったそうです。で、やはり母譲りの美貌も持っていたそうです。小柄でふくよかだったそうですが。
また彼女は非常に勤勉。爪の垢煎じて飲みたい(^^;)
そして大変信心深く、毎日の礼拝は欠かさず、特にマリア様への信仰が厚く、侍女達へのありがたい話の読み聞かせの他、Our Lady of WalsinghamやOur Lady of Caversham等へのお参りも行ったそうです。フランシスコ派が特にお好きだったそうです。
王妃様のお役目とは、世継ぎを生むこと、慈善活動、王のパートナーとしていろいろな所へ一緒に顔を出す事、まあ、現在もあまり変わりませんね。しかし政治に口出しする事などはもちろん期待されておりません。ところが、非常に面白い事に、ヘンリー8世の奥方は皆さん、これ、やったんですね。
キャサリンの場合は、最初はその判断力はヘンリーも認めたようですが、彼女の父フェルディナンドに騙され、それ以降はヘンリーは用心するようになりました。
とはいえ、彼女の慈善活動は国民に愛されたようです。また、信心深くて地味という彼女のイメージからはちょっと意外だったのですが、ファッションリーダーでもあったそうですよ。farthingale
といういかにもお姫様っぽい広がったスカート(の下の骨組み)を流行らせたのは彼女だそうでございますよ。また彼女は宝石好きでもあったそう。(パワーストーンを信じていたようです)また、さらに意外?彼女は夫の楽しみ、狩りとか、ダンスとか、もちろん知的な会話も、共有して楽しんだそうです。
どうもキャサリン・オブ・アラゴンは、疲れ果てた暗い年輩の女性、ヘタをするとだから夫に嫌がられたんだ?というようなイメージがつきまといますけど、実は、なんだぁ、ヘンリー8世の理想の奥さんだったんじゃん。
さて、ヘンリー8世は、戴冠式の準備の為、<href="http://en.wikipedia.org/wiki/Tower_of_London">ロンドン塔へ移ります。ここはドハティ小説に度々出てきますね。ロンドン塔は13世紀に建てられましたが、歴代の王様によっていろいろな建物等が追加されたそうです。後にTraitors' Gateと呼ばれるようになる有名な水門を作ったのは、あのエドワード1世だったんだ。(やっべぇ、英国史にやたら詳しくさせてくれるぜドハティさん(笑))また、これもドハティ小説に度々出てきますが、いろいろ珍しい動物も飼育されてました。当時はライオンがいたそうです。
ヘンリー8世にとっては、ロンドン塔は始めっから、ちょっと暗いイメージがあったようです。彼のお母さんはここで産後の肥立ちが悪くて亡くなりました。また例の痛ましいthe Princes in the Towerは彼の伯父に当たるのだそう。
戴冠式当日、ロイヤルカップルはウェストミンスター宮へ。ウェストミンスター宮の立派なホールを建築させたのは、12世紀のウィリアム・ルーファス(ハリポタの同名某キャラクタの名付け元という噂の(^^;)) ヘンリー8世が寝室として使った部屋は、ヘンリー3世も使っていたそうで、86フィート×26フィートの広さがあったのだそうです。(部屋?だよね?ベッドの大きさじゃないよね?(笑))川に近いので湿気が多かったり、乞食が簡単に入ってきたりしたようですが、若い時のヘンリー8世はこの部屋を良く使ったそうです。
戴冠式の日のカーペットは、用が済むと、民衆が破っておみやげに持って帰ったそうです。
新しい王の登場は、国中に安らぎを与える、と、期待されたようで、その頃は今と段違いに動乱の時代だったんだなあと思ってしまいます。(ヘンリー8世この後さらに混乱をかき回す事をするとは‥‥)
祝宴は数日続きました。祝宴を終わらせたのは、何と彼をかわいがってくれた祖母、マーガレット・ボーフォートの死でした。(調べていてびっくりしたのですが、マーガレットさんは1人息子ヘンリー7世を14才で生んだのね‥)