”朝5時の送迎バスに集まる橋原地区の人たち”(4月9日)
今日は下社の山出しの初日だ。私たち川岸地区は春宮三の御柱を曳く。
七年に一度のお祭りは、お祭りの度に自分を取り巻く環境が変わるものである。
小学一年の時に御柱があれば、次は中学一年、次は大学一年・・、人生の時の流れそのものなのだ。
18で田舎を離れた私は、小学一年の時里曳きをお婆さんに連れられて見に行った以外は御柱を体験していない。
いつか写真に撮りたいと話したのを従兄弟が聞いて、私たち夫婦を地区の曳行者名簿に入れてもらい、
地元がチャーターした送迎バスに乗ることを許されたのだ。
従兄弟は今回御柱の列の先頭で地区の旗手を務める、地区責任者の区長は一つ年上のお隣の幼なじみだった。
私と従兄弟は5時のバスで、カミサンと従兄弟の奥さんは6時のバスで現地へ向かった。
今日は下社の山出しの初日だ。私たち川岸地区は春宮三の御柱を曳く。
七年に一度のお祭りは、お祭りの度に自分を取り巻く環境が変わるものである。
小学一年の時に御柱があれば、次は中学一年、次は大学一年・・、人生の時の流れそのものなのだ。
18で田舎を離れた私は、小学一年の時里曳きをお婆さんに連れられて見に行った以外は御柱を体験していない。
いつか写真に撮りたいと話したのを従兄弟が聞いて、私たち夫婦を地区の曳行者名簿に入れてもらい、
地元がチャーターした送迎バスに乗ることを許されたのだ。
従兄弟は今回御柱の列の先頭で地区の旗手を務める、地区責任者の区長は一つ年上のお隣の幼なじみだった。
私と従兄弟は5時のバスで、カミサンと従兄弟の奥さんは6時のバスで現地へ向かった。
”バスを降り曳き出し地点まで歩く人たち”
山出しの御柱の出発地を棚木場(たなこば)と呼び、終着地を注連掛(しめかけ)と呼ぶ。
下社の山出しの曳行距離は約4.7Kmで、途中最大の見せ場は、
長さ約100m、斜度35度の急坂を、御柱が氏子を乗せて滑り下る木おとし坂である。
朝5時のバスは中間地点位まで運んでくれるが、そこから先は歩きである。
あとから来るカミサンたちは終着地までしかバスが入らない。4.7Kmすべて歩きである。
今朝の最低気温は1゜Cということだが、20分ほど歩いて棚木場に着いた時はおでこが汗ばんでいた。
山出しの御柱の出発地を棚木場(たなこば)と呼び、終着地を注連掛(しめかけ)と呼ぶ。
下社の山出しの曳行距離は約4.7Kmで、途中最大の見せ場は、
長さ約100m、斜度35度の急坂を、御柱が氏子を乗せて滑り下る木おとし坂である。
朝5時のバスは中間地点位まで運んでくれるが、そこから先は歩きである。
あとから来るカミサンたちは終着地までしかバスが入らない。4.7Kmすべて歩きである。
今朝の最低気温は1゜Cということだが、20分ほど歩いて棚木場に着いた時はおでこが汗ばんでいた。
道は曳く人だけでいっぱいになってしまう。
このあと出発する秋宮二の人たちも上がってくるし、途中から曳行に加わる人もいる。
道はごった返す。カミサンたちはまだ到着していない。
ここは地区の人たちしか来ない場所である。
それも自力で5Km近い山道を歩ける人だけが来られる所である。
このあと出発する秋宮二の人たちも上がってくるし、途中から曳行に加わる人もいる。
道はごった返す。カミサンたちはまだ到着していない。
ここは地区の人たちしか来ない場所である。
それも自力で5Km近い山道を歩ける人だけが来られる所である。
御柱の先頭部。
といっても建てる時は地中に埋まってしまう部分である。
上社の御柱はこの部分に「めどでこ」といって前から見るとV字型に長いてこ棒が出ており、
氏子を乗せて左右に揺らす。見た目大変派手である。
下社の御柱には「めどでこ」がない。その代わりに沢山の梃子役がいる。
いずれも左右に揺らすのであるが、これは御柱が土に食い込んでしまうと動かなくなってしまうので
柱を左右に揺らすことで動き出しの摩擦抵抗を少なくするのです。
といっても建てる時は地中に埋まってしまう部分である。
上社の御柱はこの部分に「めどでこ」といって前から見るとV字型に長いてこ棒が出ており、
氏子を乗せて左右に揺らす。見た目大変派手である。
下社の御柱には「めどでこ」がない。その代わりに沢山の梃子役がいる。
いずれも左右に揺らすのであるが、これは御柱が土に食い込んでしまうと動かなくなってしまうので
柱を左右に揺らすことで動き出しの摩擦抵抗を少なくするのです。
御柱は木遣りの掛け声を合図に一斉に曳きます。
それにしても高い声です。小学生の頃の御柱の記憶にこの木遣りの高い声があります。
ソプラノもテノールも知らない頃、人がこんな声が出るものかと驚いたものです。
木遣りは「歌う」ではなく「鳴く」と言うのだそうです。
それにしても高い声です。小学生の頃の御柱の記憶にこの木遣りの高い声があります。
ソプラノもテノールも知らない頃、人がこんな声が出るものかと驚いたものです。
木遣りは「歌う」ではなく「鳴く」と言うのだそうです。