”毘沙門沼”(カミサン作マーク)
時は11月の三連休。 紅葉が見ごろとなれば最も混雑する日でもある。
五色沼を下から上がって行こうと駐車場に来たが、車が満杯で行列が出来てしまっている。 ヤバイ。止められないならスルーするようか。
たまたま、出る人が私に向かって手招きする。 時には私たちにも運があるんだ。毘沙門様のご利益か。
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60分の予定を90分以上かけて上の池まで来ました。 観光バスじゃないからまた車まで戻ります。
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子供がよくお面に使う、朴の葉が落ちていて穴が開いている。 「自然にあんな風になるんだ」。
「自然じゃないよ、誰かが開けたんだよ」。 「いや自然だ」。「そんなことないって」。
足元を見ると無傷のきれいな葉も落ちている。 でもこの穴の開き方は人為的には見えないけどな。
”ゴールドラインからの猪苗代湖”
今回の旅に私はもう一つ目的を持っていました。
それは、会津若松市の仮設住宅にいるMさんに会うことです。
Mさんは30代前半まで東京の職場でしたが、
事故のあった原発から7kmの双葉郡大熊町の田舎に帰って以降、
30年以上年賀状だけの付き合いになっていました。
そんな私が年賀状以外に葉書を出したのは大震災の年の暑中見舞いでした。
http://blog.goo.ne.jp/photo884/d/20110911
本来なら、事前に手紙を書いて相手の都合を聞いて行くのが本当ですが、
お天気の都合で突如決まった旅のうえ、電話番号も分かりません。
いきなり行って良いものか、迷いに迷いながら仮設住宅に着きました。
”磐梯コールドラインからの猪苗代湖”
平屋の長屋住宅が8棟位いあります。皆同じ地域からの避難者のようです。
声をかけても返事がない。玄関の引き戸はするすると開いてしまう。
同じ仮設の人に頼んで呼んでもらうと、奥の開き戸をノックしたら奥さんが出てきました。
Mさんは、明日から三日間現地のパトロール当番で、二時間ほど前に出かけたという。
奥さんとは初対面でしたが、東京で結婚されたので、昔の話が通じ私と共通の知人もいてほっとしました。
大熊町の大川原地区は、線量が低いので帰還可能地域となったといいます。
しかしそれは町の人口の4%の人だけ。あとの96%は帰還困難地域。
奥さんは言います、「96%が帰れないのに、帰って良いと言われてもね」、と困惑顔です。
自宅には一度行ったが、屋根瓦が割れたり落ちたりしたところから雨漏りがして、汚染水が流れ込んでいる。
シートを屋根にかけたのは大分経ってからのこと。家の中はネズミの糞だらけで、柱もかじられていた。
奥さんはそれ以来自宅には帰っていないそうです。
私が、木戸川の除染を見てきた話をすると。
「除染にかけるお金をこれからのことの方に振り向けた方が」と言います。
動かせたり、持ち運び出来る物に対しては「除染」は有効でしょうが、
動かせない大地に対して「除染」は本当に有効なのだろうか。
最初から分かっているのに、住民が「除染はもういい」と言い出すのを待っていたような気さえしてしまいます。
帰路についてしばらくして、Mさんから電話があった。部分的には線量の高い場所があるので、
アラームの鳴る線量計を付けての仕事だと言う。
昔と変わらぬ元気な話しぶりに、ちょっとほっとしました。