詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

米国とそのコピー&奴隷国家日本の崩壊の時は近い

2007年12月05日 | Weblog
十年後はいったいどうなってるんだろうか・・と暗澹たる思いで考えてる。
アメリカ以上に貧富さや公的赤字が増大して、弱者の抹殺が進行してる日本。
けれども、アメリカ的な方向から別な進路へと舵を取るならば・・
21世紀こそ、「平和憲法」や世界でもトップレベルの生産技術・環境保護技術を持った日本や日本人が人類の未来のために活躍できる時代なのではと思う。

《今夏以来のアメリカの金融危機で最も重要な点は、米金融界が1980年代の自由化以来、強さの源泉として培ってきた「あらゆる権利関係を証券化(債券化)し、経済を活性化する」という証券化の技法が破綻したことである。7月末の金融危機発生以来、アメリカの債券(社債)市場は機能不全のままで、特にリスクの高い債券の市場は開店休業で、証券化の魔力は失効し、儲けの大黒柱だった債券化商品は、今や最大の損失源と化している。

 金融危機は、今後少なくとも数年間は悪影響を及ぼすだろうから、アメリカの金融の力は大幅に落ちることになる。アメリカではすでに製造業が死んでいるので、米経済から金融力が除外され、刷るだけで世界から輸入できたドルの基軸性も失われて消費力も減退したら、ほとんど何も残るものがない。

 アメリカを偏愛する日本人(戦後のアメリカの気前よさを経験した高齢者に多い)の中には「アメリカは人材が豊富だから潰れない」「アメリカは蘇生力が強いので立ち直る」といった見方をする人がいまだにいる。だが、1980年代以降のアメリカは、研究開発より金融のトリックが重視され、アメリカの弾力性を支えてきた中産階級の没落を招く大金持ち優遇の税制が採られ、ネオコンのような詭弁を弄する勢力が政府中枢に入り込んで無茶苦茶をした結果、1960年代までのアメリカの素晴らしさは、もはや過去の話になっている。》 (「深化するドルの危機 」田中宇より)

より詳しい内容はー
リンク集の「田中宇の国際ニュース解説」参照を。

家船(えぶね)についての以前の書き込みを再度アップ

2007年12月05日 | Weblog
谷川健一の「日本の神々」には、沖縄についての面白い内容が満載だった。
とりわけ面白かったのは、第一尚氏と長崎の西彼杵半島との深い関係について。
12世紀から15世紀にかけて本土で普及し、沖縄でも相当数出土される「石鍋」とは?八幡信仰や鉄器等をも沖縄にもたらしたのは、この半島にいた家船集団ではないかと谷川氏は言っているのだが・・

そういえば、これも以前どこかに書いたのだけど・・沖縄・長崎・瀬戸内や華南・東南アジアに共通するペーロンやクーロンという舟のお祭りも関係あるのかもしれない。水死寸前の楚詩人屈原を救おうと多くの舟を出したという華南が起源の話だが。

僕のリンク集にある焼尻紋次郎さんの説でも、沖縄・長崎・出雲・津軽は言語的にとても似通ってるという。
下記の「青(おう)」の島という水葬の痕跡などは、日本列島の全域に広がっている。

《沖縄では青の島は死者の葬られた島につけられた名前である。習俗の中で葬制はもっとも変化しにくいものである。もし本土の海岸や湖沼に「青」を冠した地名があり、そこが埋葬地と関係があり、また海人の生活を営んでいるならば、南方渡来の民族が移動して、本土の海辺部に定着した痕跡をたしかめる手がかりを得るのではないかと私は考えた。》(「日本の地名」より)

沖縄とアイヌの基層的な宗教観はほとんど同じように思える。
沖縄の場合はさらに、古代天皇制や出雲とも極めて類似した構造が、その上に乗っかっているようだ。
沖縄のような水葬が、平安時代初期までの出雲では行われていたらしい。国造の死体を赤牛に結び付けて、出雲市の東南の菱根の池に沈めていたそうだ。
赤牛は、宮古島では冥府の使いと見られていたとか・・

「歴史はマージナル」(現代書館)を読書中

2007年12月05日 | Weblog
この本の中の「道ゆく芸能者たち 猿舞座村崎修二」は、歴史好きには必見ではと思った。

《現在の話ではありませんが、例えば山口県のある地域では、いわゆるの人たちが五段階いたんですね。
僕はの問題を解決したいという立場で言ってますんでこらえてほしいと思うんですが、
例えばカワタ、通常はヨツといわれていた大きな集団がありました。
しかし、奇妙なことにヨツの上にヨツ半というのがありまして、家船(えぶね)というのはヨツ半で瀬戸内海の漁民です。

それからサンカをサンタと言いました。それからニタというのがありました。
これは修験者とか巫女さんだとか、いわゆる道心坊、何かいかがわしいものを持って歩く人たちです。
通常、われわれの世間でサンカというと、茶せんと呼ばれたり宮番と呼ばれたり、あるいは日本海のほうへいっちゃうと、鉢屋と呼ばれたり、院内の者とか、夙の者とか、坂の者とか、岩国領では道々の者と、それぞれの地域によっていろんな言われ方がありまして・・》

「秋山清詩集」の解説で吉本隆明がー

2007年12月05日 | Weblog
《抵抗詩人と呼べるべき詩人は、金子光晴と秋山清の他には、いない》とある。

  山羊詩編  秋山清

からりとはれた七月の太陽の下で
ぼくの拳骨にむかって
こいつは頭を下げて突貫する。

跳ねかえされ
突きとばされても
奮迅と起きあがってくる。

山羊の仔の
生まれて十日目の野生は
人間にむかってたたかいを挑む。

青草の青き上に立ちあがり
四肢をふんばり
耳を立て
まだ生えぬ角をふって
突進する真面目な顔を見よ。

朝ぞらのように
澄みわたった目の一途さを見よ。  (昭和八年)