詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

ー「左川ちか詩集」よりー

2007年12月07日 | 日記
  花

夢は切断された果実である
野原にはとび色の梨がころがつてゐる
パセリは皿の上に咲いてゐる
レグホンは時々指が六本に見える
卵をわると月が出る


  花咲ける大空に

それはすべて人の眼である。
白くひびく言葉ではないか。
私は帽子をぬいでそれ等をいれよう。
空と海が無数の花瓣(はなびら)をかくしてゐるやうに。
やがていつの日か青い魚やばら色の小鳥が私の顔をつき破る。
失つたものは再びかへつてこないだらう。


    山脈

遠い峯は風のやうにゆらいでいる
ふもとの果樹園は
真っ白に開花していた
冬のままの山肌は
朝毎に絹を拡げたやうに美しい

私の瞳のなかを
音をたてて水が流れる

ありがとうございますと
私は見えないものに向って拝みたい
誰も聞いてはいない 
免しはしないのだ

山鳩が貰い泣きしては
私の声を返してくれるのか

雪が消えて 谷間は
石楠花や紅百合が咲き
緑の木陰をつくるだらう
刺草の中にも遅い夏はひそんで
私たちの胸に どんなにか
華麗な焔が環を描く

盲目

2007年12月07日 | 日記
冬の一本道を
ひとり歩いてゆくぼくに
さよならと微笑みながら
君の自転車が
行き過ぎていったから
なんだか後ろ向きで
歩いてゆきたくなる

どうせ両眼も 心も
とっくに盲しいているから
こんなにも
世界は美しいのかもしれない
両耳を塞いで生てきたから
たったひとつの言葉が
いつまでも
響き渡っているのかもしれない

忘れていた何かを
思い出せそうでいて
思い出せない夕暮れには
より深い群青色へと
染まりゆく風の後ろ姿を
いつまでも見上げている

かたわらを
流れすぎていったものたちよ
意味もなくお前たちを
呼び止めてしまったのは
ぼくの心も また
捨てることしか知らない
盲目だったから

「宮沢賢治ファシズム批判」という副題が相応しい本を読んでる最中

2007年12月07日 | 日記
この分厚い「宮沢賢治伝説ーガス室のなかの希望へ」山口泉(河出書房新社)という本の著者は・・僕が日本で一番好きなドキメンタリー作家松下竜一全集のすべてに解説を書いている物書きだ。
けれども、この本は書かれるべくして書かれた本なのかもしれないと思う。より宮沢賢治に肉薄するためには、崇拝するばかりではいけないのだとも。

この本の中に引用されている詩やドストエフスキーは、そのどれもが懐かしい僕の青春時代の愛読書や愛唱詩だった。
(「戦後現代史詩」の本を借りたままだったの・・別れの時に餞別までくれた定時制のO先生御免なさい!)

《聴いてくれ
 だから聴け
 だから忘れないでくれ
 忘れないでくれ
 忘れてくれ そして忘れよ
 「(かつて)蓑を纏うことが人格を
 離れて神格に入る手段であった」と 暗く
 四肢がうごき
 濡れた着物の落ちる
 音が聴こえたとき
 だが過ぎ去ることさえない季の死
 わたしの草の着物は
 ひとりの肉と実在を包んでいたと
 黙しながら
 覚えある蓑のひとが暗がりから
 波うつ葉緑素の国家の真昼間へ
 深い現時いまとなって戻らず
 ここから歩きでていった
 ことを忘れてくれ
 だから忘れてくれ
 だから忘れるな
 河べりのひとつの夏を忘れないでくれ
      (黒田喜夫「葦の湿原(さろべつ)のかなた」より抜粋)
 
        
《私たちはいつも死を計算に入れていた。
私たちは知っていたーゲシュタポの手中に落ちたら、最後だ、ということを。・・
私の劇も終わろうとしている。劇の結末を私はもはや書くことができない。私にはそれがどういうものになるかわからないのである。
これはもはや劇ではない。生活なのである。
そして生活には、観客はいない。》
(ユリウス・フチーク『絞首台からのレポート『岩波文庫』)

この詩はいったい、どこで目にした詩だろうか?
「山椒魚戦争」やロボットの命名者だったチャッペク兄弟の本の解説でだったろうか?
それともー
600万人以上もガス室等で虐殺されたとも言われる、強制収容所にひしめく素裸にされたユダヤ人達や、ドイツ軍兵士の前を素裸にされて走り抜けて行くユダヤ人少女の写真集の解説でだったろうか・・