◎過去を死なせて現在を生きる
和尚バグワンの語る時間のある世界とない世界。時間のある世界に死なないと時間のない世界には入り得ない。
『神秘家はみずから進んで死ぬ。神秘家は実際の死のまえに死ぬ。かれは瞑想のなかで死ぬ。
恋人たちがいくらかそれを知っているのは愛の五〇パーセントが死であるからだ。愛が瞑想に酷似しているのはそのためだ。恋人たちは瞑想性がなんであるかを多少とも知っている。かれらは知らないうちにそれに行き当たった。恋人たちは沈黙を、静寂を知っている。恋人たちは時間というものがないことを知っているが、かれらは偶然にそれに行き当たった。それはかれらが最初から追求していたものではなかった。
神秘家はそれのなかにきわめて意識的に、意図的に入ってゆく。瞑想は全面的な死、みずから進んで迎える死だ。
人はみずからの自己のなかに死ぬ。
まだ死がやってこないうちに神秘家は死ぬ。
かれは日々死んでいる。
瞑想するたびにかれは死のなかに入ってゆく。かれはそれらの高み、それらの深みに到達し、そして、じょじょにゆるやかに、瞑想が自然なものになるにつれて、かれは死を生きるようになる。
かれの生の一瞬一瞬は死の瞬間でもある。瞬間ごとにかれは過去を死なせて、みずみずしくとどまる。なぜなら、過去を死なせたとたんにあなたは現在を生きるようになるからだ。』
(不滅の言葉(ダンマパダ2)/和尚OSHO/メルクマールP354から引用)
これは見仏見神のショックから、だんだん状態が安定していって、『瞬間ごとにかれは過去を死なせて、みずみずしくとどまる』というように悟後の修行(聖胎長養)がある程度進んだ状態なのだろうと思う。