◎ジェイド・タブレット-外典-06-07
◎社会主義を沢山加味した宗教
世界統一勢力と国家意識のせめぎ合いに関する出口王仁三郎の追加意見。
『出口氏『矢張り然し、人類愛の上から見ても、世界に対する所謂人類愛と、国家に対する愛と、郷里に対する愛と、家族に対する愛と、個人に対する愛といふ様に、段々小さくなつて来る。日本国民としては国家に対する愛が必要であり、又広汎的に云へば世界一般の人間に対する愛が必要である。焦眉の急を要する問題として一番どれが主であるかと云へば、自分の祖先の墳墓の国である。これを愛するのが一番急務であり、大切な事であると思ふ』』
(出口王仁三郎全集 第1巻皇道編第6篇第6章 挙国更生から引用)
これは、大地震や大災害時に誰を真っ先に救うかという議論の延長線上にある見方である。誰か一人しか救えないとすれば、まず最も身近な者を救うのではないかと示している。世界と国をどちらを優先して救うのかと言えば、より身近な国であると示している。だがこれは、この選択をする根拠としては薄弱であり、出口王仁三郎は、「国家意識のある宗教といふものは魂の向上した人でないと分らん」と突き放している。
曰く、人間の霊魂にも階級があり、信仰の程度にも階級があり、各人は階級相応のことしかわからないが、それでよいのだと。
地球ロゴスには、永遠不壊である国家のイデアがあり、それを無視してかかる勢力は滅びるということなのだろうか。
そのヒントとしてユダヤ勢力の世界統一の野望が挙げられる。
『また一つの邪気が凝り固まつて鬼の姿をして発生したのは、猶太の土地であつた。この邪鬼は、すべての神界並びに現界の組織を打ち毀して、自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。』
(霊界物語 第1巻第2篇 幽界より神界へ 第18章 霊界の情勢から引用)
社会主義多く加味せる宗教は我皇国に具はぬ曲道
国家意識夢にも説かぬ宗教の末路近みて木枯寒し
(出口王仁三郎。出典:大本史料集成2第2部 昭和期の運動第2章 昭和神聖運動 第2節 昭和青年誌(抄))
世界観と言えば簡単だが、万人が神知る時代は、国家があるのは自然かどうかということに議論は収斂していくのではないかと思う。千年王国時代の世界には国家があるべきなのか。あったほうが、繊細で豊穣で、楽しさの広がりがあるのではないかと思う。その辺の判断が、「魂の向上した人でないと分らん」という点なのだろう。