らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

世界遺産「薬師寺」(その2)

2010-10-18 | 旅行
昨日に続き、世界遺産「薬師寺」の2回目をご紹介します。

薬師寺には国宝の伽藍や仏像がたくさんあります。
まず、国宝の「東院堂」です。

「東院堂(国宝)」
東院堂は、養老年間(717~724)に吉備内親王(きびないしんのう)が父の代43代元明天皇(げんめいてんのう)の冥福を祈り、建立したものです。
奈良時代は現在地の東側に建てられていましたが、天禄4年(973)の火災で焼失しました。
現在の建物は正面7間、側面4間の入母屋造本瓦葺で、弘安8年(1285)に南向きで再建されましたが、享保18年(1733)に西向きに変えられたそうです。
高い基檀の上に建っているのは、水害・湿気を避けるためであり、鎌倉時代後期の和様仏堂の好例だそうです。
堂内には、白鳳仏を代表する国宝「 聖観世音菩薩」が安置され、その四方は鎌倉時代の四天王像が守護しています。

・国宝の東院堂です。


「回廊」
回廊は、藤原京薬師寺では単廊であったとされていますが、平城京薬師寺では複廊と呼ばれる2重構造になっているのが特徴です。現在は第三期までの復興工事が完了しているそうです。


「東塔(国宝)」
東塔は本来お釈迦様のお墓を意味するそうです。インドで梵語のストゥーパが音訳されて卒塔婆(そとうば)となり、それが塔婆、更には塔と表現されるようになりました。
お釈迦様のご遺骨「仏舎利」(ぶっしゃり)を埋葬して盛り土をしたものが原型です。その塔婆を遠くからでも拝めるように、また尊敬の気持ちから、より高い台の上にお祀りするようになったと説明書きにはありました。

薬師寺の東塔は一見六重に見えますが、実は三重の塔だそうです。これは各層に裳階[もこし]と言われる小さい屋根があるためで、この大小の屋根の重なりが律動的な美しさをかもし出し、「凍れる音楽」という愛称で親しまれているそうです。
塔の上層部を相輪[そうりん]といいます。その更に上部に尊い塔が火災にあわぬようにとの願いをこめて、水煙が祀られています。
この東塔は、薬師寺で唯一創建当時より現存している建物で、1300年の悠久の時を重ねてきた歴史をその姿から感じられるといわれています。

・東塔です。六重に見えますが、三重塔です。


「西塔」
西塔は昭和56年(1981)に復興されました。
塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青色(あおいろ)」、扉や柱に使われている色を「丹色(にいろ:赤)」と呼び、万葉集の一節に

  「あをによし 寧樂(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の 薫(にお)ふがごとく 今盛りなり」  小野老(おののおゆ) 万葉集 巻3ー328
    訳:青丹(あおに)も美しい奈良の都は、咲きさかる花の輝くように、今盛りである。   

と歌われています。
「青丹(あおに)良し」とは奈良の枕ことばを意味し、この歌は当時の平城京の華やかさを表現する意味が込められています。
そして、東塔と比較すると、その鮮やかな色に目を奪われますが、色はもちろん、連子窓の有無や屋根の反り、基檀の高さ等、東塔との違いが多く見られます。

・青丹(あおに)の色彩が鮮やかな西塔です。


・西塔の内部です。心柱のを背にして四面には仏像が安置されています。


「玄奘三蔵[げんじょうさんぞう]院伽藍」
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう:600または602~664)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶です。
17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰った経典の翻訳に専念し、その数は1335巻に及んでいます。
玄奘三蔵の最も究めたかった事は、「瑜伽唯識(ゆがゆいしき)」の教えであり、その教えの流れを継承している宗派が法相宗[ほっそうしゅう]だそうです。現在、薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たります。

・玄奘三蔵[げんじょうさんぞう]院伽藍です。


説明書きによれば、昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見し、その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨され、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安されました。
薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。
平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にお祀りしています。