平安時代のドラマを観ていると、貴族たちが顔を白く塗っていますが、なぜあのように白く塗るのでしょうか?
不思議に思ったので調べてみました。
平安時代には照明がなかったので部屋の中は昼間でも薄暗く、夜になれば蝋燭をつけても相手の姿がぼんやりと浮かぶ程度の明るさでした。
そのような薄暗い中で、少しでも顔が目立つようにと白粉(おしろい)が塗られているということでした。
貴族にとっては「目立つ」事は美しい事だったようです。
白粉(おしろい)が初めて中国からもたらされたのは7世紀前半の事です。
遣隋使によって運ばれてきましたが、当時はまだ航海術が未熟だったことから、極めて高価だったそうで、ごくごく一部の人たちのものでした。
692年(持統6年)に沙門観成(しゃもんかんじょう)が国産初の鉛で出来た鉛白を完成し、続いて713年(和銅6年)に水銀で出来た軽粉が登場すると、貴族の間に白粉が爆発的に広まったそうです。
しかし、鉛や水銀が原料だったため、貴族たちの健康は白粉によって蝕まれ、早死にすることが多かったと言うことです。
この白塗り文化は江戸中期の元禄時代には町民にまで広まりました。
そして、1906年(明治39年)に資生堂の前身である西洋調剤薬局が「肉色粉おしろい」と言う肌色の白粉を発売するまでのおよそ1200年間続いたそうです。
その後、無鉛白粉の開発や舶来化粧品の輸入増などで化粧は一般化し、更に第二次世界大戦後は、メーキャップファウンデーション・アイメーキャップ類・男性化粧品などが発売され、化粧品も化粧法もまったく世界共通のものとなっているということです。