今年は大坂夏の陣から400年です。
そして今月22日は大阪府知事と大阪市長のダブル選挙の投票日です。
大坂夏の陣とダブル選挙、どのような関係があるのかって?
全く関係ありません。
実は、大阪の地名について調べたので比較のために二つの「大坂」「大阪」を書き上げただけです。
夏の陣の「大坂」は土偏(つちへん)の「坂」を使用していますが、現在の大阪は阜偏(こざとへん)の「阪」を使用しています。
昔は何故「土偏の「坂」を使用したのでしょうか?
調べてみると、明応5年(1496年)9月、蓮如上人が大坂石山の地(現在の大坂城の辺り)に、石山御坊(後の石山本願寺)を建立しましたが、この付近の地名は、元々、『小坂』と呼ばれていました。
ところが蓮如上人は縁起をかついで「小坂」を「大坂」に変えたのだそうです。
しかし、この時点では「大坂」と書いて『おざか』と呼ばれていました。
その「大坂」が現在のように「大阪」と書かれるようになったのは、明治3年のことです。
東京が首府と決められた明治維新後、大坂は衰退の一途をたどっていたのですが、これは大坂の「坂」が「土に反る(返る)」と読めることから、人々が忌み嫌ったのだそうです。
そこで、「盛ん・多い」という意味を持つ「阪」が使われるようになったということです。
当時は公文書にも「大阪」と「大坂」が混在し、かなり混乱していたようですが、明治10年になると、ようやくその混乱も収束し、公文書の印鑑なども「大阪」に統一されました。
なお、この大阪の漢字の変更を模倣したのが三重県の松阪市です。
『松阪の町の歴史』の解説には、
「松坂」が「松阪」となったのは明治22年の町村制実施の時で、その範となったのは大阪であり、「大坂」が「大阪」になったのは明治3年であると説明されているそうです。
また、『松阪開府400年史』でも、「大坂が大阪になったので、「松阪」に決定したと伝えられているということです。