らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

大岡越前と遠山金四郎

2015-11-15 | 雑学

所用のため数日間ブログの書き込みをを休ませていただきました。
今日から再開しましたので、引き続きよろしくお願いします。

さて、時代劇に出てくる名奉行と言えば北町奉行所の遠山金四郎と南町奉行所の大岡越前ですよね。
ドラマでは北町奉行所は南町の悪口を言い、南町奉行所は北町の悪口を言う展開となる場合が多いようですが、この二人の名奉行、果たしてどちらが有能だったのでしょうね。
そこで調べてみました。

北町奉行所の遠山金四郎と南町奉行所の大岡越前は生きた年代が全く違うので比較ができないと言うのが実のところです。
遠山金四郎は勘定奉行を経て1840年(天保11年)に48歳で北町奉行となり、水野忠邦が行った天保の改革、即ち、倹約奨励や娯楽の廃止を唱えた政策に反発し、芝居小屋廃止を移転だけにとどめるなど、庶民の見方を貫きました。
それがアダとなり北町奉行をクビになりましたが、1845年(弘化2年)に南町奉行に返り咲きました。
刺青をしていたのは事実のようですが、テレビで観るほど立派なものではなかったようです。

一方、大岡越前は徳川第8代将軍吉宗によって1717年(享保2年)に41歳で南町奉行に任命されました。
歴代の奉行の中でも最も高い評価を得ていますが、ドラマに出てくる「大岡裁き」の殆どはフィクションだそうです。

奉行所の格は、一般的には南町奉行よりも北町奉行の方が高いとされていたようですが、大岡越前の時の南町奉行だけは例外のようです。
遠山金四郎は「大岡越前以来の名奉行」と言われていたので、二人を敢えて比較するとすれば大岡越前の方が有能だったと言えるのかもしれないと言うことです。