らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

たこ焼きの誕生

2017-11-07 | 地元紹介

先日、熊取町の文化祭でタコ焼きのお手伝いをしたのですが、タコ焼きと言えば大阪の名物になっています。
何故、大阪の名物になったのでしょうか?
今日はタコ焼きの誕生について調べてみました。

昭和初期、地方から「東洋一の工業地帯」「東洋のマンチェスター」と言われた大阪に工場労働者が集まってきていた頃、「ちょぼ焼」とか「ラヂオ焼」という食べ物の屋台がたくさん出ていたそうです。
その食べ物は水で溶いた小麦粉を、丸くて小さいくぼみが並んだ型に流して、刻んだコンニャク・ネギ・天かす・紅しょうが等を入れて丸い形に焼き、醤油をつけて(あるいは醤油も入れて焼き)食べるものでした。
特においしいわけでもなく、どちらかというと子供向けだったようです。
「ラヂオ焼き」という名前は明治~大正時代にハイカラで高級品の象徴だった「ラヂオ」から名づけられたようです。

1933年(昭和8年)に福島県から大阪に出てきた遠藤留吉夫妻が「ラヂオ焼」の屋台を始め、その後、遠藤氏は大阪市天下茶屋(現在の西成区)に「会津屋」の店舗を開き、醤油で味付けしたラヂオ焼きに牛肉を小さく切って入れて売り出したところ、大人の客が増えてきたそうです。

そして、昭和10年(1935年)、会津屋で、ラヂオ焼きを食べたお客さんから、「大阪では肉かいな。明石ではタコを入れとるで」という一言をヒントに、会津屋の初代店主はすぐさま、タコを入れることにチャレンジしたのです。
そして「たこ焼き」と命名して売り出しました。
これが大阪のたこ焼きが誕生した由来です。

こうして誕生した「たこ焼き」は大阪の名物となり、今や、大阪を訪れるアジアからの外国人観光客に大いに受け、高い支持を得ているそうです。
なお、明石はタコ焼きではなく「明石焼き」、現地では「玉子焼き」の名称で親しまれているようです。