今年4月、「ハワイでの重婚ウェディング」などが週刊誌で報じられ、自民党を離党した元経済産業政務官の中川俊直元衆議院議員が7月29日に謝罪会見を行っていました。
その時の会見では頭丸めて涙を流して『心機一転頑張ります!』と謝罪し、その後、涙ながらに「生き恥を晒してでも郷土のために役に立ちたい」と、今後も政治活動を続けることを表明していました。
しかし、流石に不倫騒動の影響は大きかったのでしょう。先月の衆議院選挙には出馬を断念しました。
当然と言えば当然のことです。
ところで、政治家に限らず、芸能人やスポーツ選手など、不倫騒動や成績不振などで、反省の姿勢を示すため「頭を丸める」ことがよくあります。
でも、「頭を丸める」」ことがなぜ、反省になるのでしょうか?
「頭を丸める」とは、広辞苑で調べると、頭髪を剃る。転じて僧尼となる。出家する。と説明しています。
辞書が示すように「頭を丸める」の本来の意味は、頭を丸めて僧侶になると言うことなのです。
では、頭を丸め、僧侶になることが何故謝罪になるのか?
古来より仏教では、己への戒めとして「頭を丸める」ことは悟りの境地へ達する"解脱"への第一歩とされていました。
釈迦は自らの解脱のため進んで剃髪し、弟子たちもそれに従ったものですが、古代インドでは頭髪を剃るのは最大の恥辱とされており、重罪を犯した者に対する一種の刑罰でした。
古代の中国では、髪を切る、切られると言うことは絶大なる屈辱でした。
手枷(てかせ)、足枷(あしかせ)をはめられて投獄されるような囚人に対してさえ、髪の毛に手をつけることはしませんでした
ヨーロッパでは、女性のみに行われていた丸刈りの事例や決まり事は古代から認められていたようですが、多くは宗教上の規律やルール違反、不道徳に対する罰や見せしめとして行われていたそうです。
このように、頭を丸めることは、古来、刑罰や見せしめとして行われていたものが、後に反省するという意味も加わったようです。
しかし、最近では、売名のための一種のセレモニーとしてマスコミが取り上げているような気もしますが・・・。