彦根城の表門通りにある「彦根キャッスルリゾート&スパ」ホテルで食事をした後、集合時間までの時間を利用して、集団では訪れないであろう彦根城の周辺を見て回りました。
2回目の今日はそれらの重要文化財などをご紹介します。
・昼食をした「彦根キャッスルリゾート&スパ」のホテル前から眺めた彦根城です。
「いろは松」
表門橋に向かう中濠の沿道の松並木で47本あったのでこの名が付けられました。
現在では34本(補植12本)が残り、当時の面影を偲ばせる通りとなっています。
この松は第3代井伊直孝が、諸国から取り寄せた竹木を城内に移植する際に、通行の妨げにならないように、根が地上に出ない土佐松が植えられているそうです。
「埋木舎(うもれぎのや)」
井伊直弼(なおすけ)が青春時代を過ごした屋敷です。
他家を継ぐ等の機会に恵まれなかった直弼は、父の死とともに槻御殿から中堀に面したこの屋敷に移りました。
彼は「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」という和歌を詠み、自らこの屋敷を「埋木舎」と名付け、文武両道の修練に励みました。
徳川幕府の大老として開国の父となった才能はここで培われたといわれます。
・白い塀で囲まれた林の中が埋木舎です。
「井伊大老(直弼)歌碑」
歌碑は直弼の死から100年が経った昭和35年(1960年)に行われた「大老開国100年祭」に先がけて市内の有志29人よって、いろは松と道を隔てたところに建立されています。
「あふみの海 磯うつ浪の いく度か 御世(みよ)にこころを くだきぬるかな」
「琵琶湖の磯うつ波が、打ちくだけてはひき、また打ちくだけてはひくことを何回も繰り返しているように、大老就任以来難問が何回となく押し寄せてくる。
しかし、わたしは国の平和と安心を願って、全身全霊を尽くして心を砕いてきたので悔いは残らない」
歌には、直弼のこんな心情が詠まれています。
「佐和口多聞櫓(国の重要文化財)」
いろは松から彦根城を訪れる時、最初に出逢う櫓。左手に見える櫓は明和8年(1771年)に再建されたものです。現在、重要文化財に指定されています。
・佐和口の左右に多聞櫓があります。一部見えている右側の櫓は現在は開国記念館です。
佐和口の右手にあるこの櫓は、昭和35年(1960年)に再建された佐和口多聞櫓ですが、現在は開国記念館として使われています。
「馬屋(国の重要文化財)」
元禄時代(1688年〜1703年)に建てられ、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていました。
昭和43年に解体修理されたこけら葺きの屋根が美しく、城内に残る馬屋は彦根城だけです。
明和年間(1764年〜1771年)のころ、火災により類焼、修理されましたが、こけらぶきの屋根は棧瓦(さんがわら)ぶきに変えられました。
昭和48年解体修理の時、もとのこけらぶきに復元されました。
・馬屋の入口です。