らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

彦根城への旅(1)

2017-11-25 | 旅行

一昨日、自治会の親睦バスツアーがあり、参加してきました。
今年はNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」 が放送されていることから、井伊家ゆかりの城である彦根城を見学するツアーが組まれました。
今日から数回に分けてご紹介します。

彦根城は姫路城、松本城、犬山城、松江城とともに国宝に指定されている名城です。
天守をはじめ、重要文化財の各櫓、下屋敷の庭園である玄宮園、内堀・中堀などが当時の姿を留めています。
お城については後日ご紹介する事とし、初回はバスガイドさんが説明してくれた車窓からの風景について取り上げます。

「近江富士」
一般に近江富士(おうみふじ)として知られるこの山は、正式名称を三上山(みかみやま)と言い、滋賀県野洲市三上にある標高432mの山です。

「近江富士と富士山の親子伝説」
江戸時代の文献、『和漢三才図会』(1712年)によれば、
富士の山は、孝霊帝五年に始めて出現した。そもそも一夜のうちに地がさけて大湖ができたが、これが江州(おうみ)の琵琶湖で、その土が大山となったのが駿州の富士である。
江州の三上山は簣(もっこ)からこぼれて出来たものなので、形はほぼ富士に似ている。
ということで、近江富士と富士山は親子である、とガイドさんが説明していました。

「近江富士のムカデ伝説」
この三上山にはその昔、俵藤太という武将が、この山を七巻半したという大ムカデを退治した有名な伝説があります。
近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなったが、そこを通りかかった俵藤太は臆することなく大蛇を踏みつけて渡ってしまった。
その夜、美しい娘が藤太を訪ねた。娘は琵琶湖に住む龍神一族の者で、昼間藤太が踏みつけた大蛇はこの娘が姿を変えたものであった。
娘は龍神一族が三上山の百足(ムカデ)に苦しめられていると訴え、藤太を見込んで百足退治を懇願した。
藤太は快諾し、剣と弓矢を携えて三上山に臨むと、山を7巻き半する大百足が現れた。
藤太は矢を射たが大百足には通じない。ムカデは人間の唾に弱い事を教えられていたのを思い出し、最後の1本の矢に唾をつけ、八幡神に祈念して射るとようやく大百足を退治することができた。
藤太は龍神の娘からお礼として、米の尽きることのない俵などの宝物を贈られた。
また、龍神の助けで平将門の弱点を見破り、討ち取ることができたという。
なお、俵藤太は平安時代中期の貴族、豪族、武将の藤原秀郷と言われており、天慶2年(939年)、平将門が兵を挙げて関東8か国を征圧する(天慶の乱)と、甥の平貞盛・藤原為憲と連合し、翌天慶3年(940年)2月に平将門討ち取った武将です。

・大ムカデ退治伝説が残る近江富士(三上山)です。


「佐和山」
嘗て石田三成の居城があった佐和山です。
織田・豊臣政権下において畿内と東国を結ぶ要衝として、軍事的にも政治的にも重要な拠点であり、16世紀の末には織田信長の配下の丹羽長秀、豊臣秀吉の奉行石田三成が居城とし、関ヶ原の合戦後は井伊家が一時的に入城したことでも知られています。
関ヶ原の後、将軍徳川家康の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604年)より彦根城築城が着工されました。

・嘗て、石田三成の居城・佐和山城があった佐和山です。


「お釈迦様の寝姿」
遠くのお山はお釈迦様の寝姿に見えませんか?
左が顔で右が胸になります。
言われてみればそのように見えるから不思議です。

・この「お釈迦様の寝姿」もガイドさんが説明してくれました。


「彦根キャッスルリゾート&スパ」
昼食を頂いた「彦根キャッスルリゾート&スパ」のホテルです。
現地に着いたのが11時30分だったので、まず昼食を食べることになりました。



これが用意されていた1人分の昼食です。
赤い器は三段重ね、黒い器は二段重ねのせいろです。



重ねられた器を並べるとこのような料理となっていました。
黒い器には近江牛や鰻の切り身などが、赤い器には刺身など盛られていました。
思っていたより豪華な料理でした。