らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

生憎の「十三夜」

2010-10-21 | 雑学
昨夜は、中秋の名月に次いで月が綺麗だと言われる「十三夜」でした。

しかし、全国的に曇天または雨模様の天気だったようであり名月を愛でることができなかったことと思います。
私が住まいしている大阪南部地方も小雨まじりの厚い雲に覆われて、名月を眺めることができませんでした。

例年、この時期は秋雨前線が南下して天気が安定していることから、『十三夜に曇りなし』と言われていますが、今年は秋雨前線が日本列島沿いに停滞して全国的に曇り空のようであり、この”謂れ”の例外のようです。
それどころか、鹿児島県奄美地方では24時間雨量で648ミリという豪雨に見舞われて大変な被害が出ているようです。
被災された方には謹んでお見舞い申し上げます。国や県は一日も早い復旧を支援されることをお願いします。

さて、秋の観月の行事は、9月22日にご紹介しましたように、旧暦の8月15日の「十五夜」と旧暦9月13日の「十三夜」があります。
「十五夜」に月を愛でる習慣は中国から伝わったようであり、サトイモなどを供えることが多いことから「芋名月」と呼ばれていますが、
「十三夜」の観月は、栗や豆を供えることが多いため「栗名月」或いは「豆名月」とも呼ばれています。こちらの行事は日本独特の風習であり、平安時代に貴族たちが集まって月を眺めて詩歌を詠んだのが始まりといわれています。
この観月の行事のどちらか一方の月見だけをすることは「片見月」といわれ、昔から縁起が悪いと嫌われているようです。
それだけに昨夜の曇天は本当に残念でした。来年の観月に期待しましょう。


皇后陛下76歳の誕生日

2010-10-20 | 時事

皇后さまは20日の今日、76歳の誕生日を迎えられました。

NHKの報道によれば、皇后陛下は、誕生日にあたって記者の質問に文書で回答を寄せられました。
この中で、この1年で印象に残ったこととして次のように述べられています。

①宮崎県で口てい疫によって29万頭近い牛や豚が処分されたことをあげ、
 「家族のように大切にしてきた動物たちを、あのような形で葬らなければならなかった宮崎県の人々の強い悲しみに思いをいたしています」と記されました。

②また、南米のチリの鉱山で起きた落盤事故について
 「日本でも、かつてあった炭坑での悲しい事故を思い出し、地下作業の怖さと安全対策の重要性を思いました」と述べられました。

③ご高齢になられる天皇陛下とご自身の健康管理については、
 ささいなことも医師に報告し指示を受けるようにしているとしたうえで、公務のあり方について「陛下が今は特に変更の必要はないと思うと仰せですので、わたしもその御方針のようにして参りたいと思います」と答えられ
 ました。 

④そしてここ数年、捜し物がなかなか見つからないなど、加齢によるとみられる現象もよくあると明かしたうえで、
 「自分でもおかしがったり、少し心細がったりしています」とつづられました。

⑤次世代を担う皇太子ご一家と秋篠宮ご一家については、 
 「それぞれの立場で与えられた役割を果たしていくとき、長い年月にわたり、皇室のあり方、ご自身のあり方を求めて歩まれた陛下のお姿がきっと一つの指針となり、支えとなるのではないかと思っています」と述べられ
 ました。

⑥さらに長女の愛子さまが通学への不安などから療養中の雅子さまの付き添いで一部の授業にだけ出席する日々が続いている皇太子ご一家については、
 「健康や通学の問題で苦しんでおり、身内の者は皆、案じつつ、見守っています」と気づかわれました。(以上NHKニュースより)




皇后さまは10月14日の新聞報道によれば、痛みを伴う目の結膜出血があったと報じられています。
皇室医務官は、結膜したお出血は疲労が蓄積した結果起きることが多いと話しています。
76歳と高齢になられた皇后さま、くれぐれもお大事にしていただき、そして、いつまでもお健やかにいらっしていただき、私たち国民を見守ってくださいますようお願い申し上げます。


 


秋に咲いた「サクラ」の花

2010-10-19 | 
先日、散歩をしていた時に桜が咲いているのを見つけました。
そこで今日は季節外れに咲いたこの「桜」の花をご紹介します。

先ず、春の桜の開花について調べました。
春に咲くサクラの花芽は、前年の夏(7月頃)に形成され、その後、「休眠」という状態になります。
休眠した花芽は、秋から冬にかけて一定期間低温にさらされることで眠りからさめ、開花の準備を始めます。これを「休眠打破」といいます。
そして、春になって気温の上昇とともに、花芽は成長し、ピークをむかえた時に開花します。
このように、サクラの「開花」には、秋から冬にかけての気温の低下と春先の気温の上昇が必要で、これが春に咲く桜の開花条件です。

・この桜は9月中旬には落葉して葉がまったく無くなりました。現在は花とともに葉も少し出てきています。


ところが季節外れに「狂い咲き」する場合があります。そこで、次に「狂い咲」きの原因を調べてみました。
桜は7月頃に花芽が作られ、これを「花芽分化」といいますが、サクラの狂い咲きは、「花芽分化」以降、なんらかの原因で葉がなくなった後、秋の夜間の低温と日中の小春日和のような温かさを春と勘違いして開花すると考えられているようです。
葉がなくなってしまうと、葉から出ている開花抑制物質がなくなるため、条件さえ整えば開花を始めることはよくあるそうです。
そのことを念頭に今日ご紹介しているこの桜を見てみると、開花していた桜の枝には、春先の葉が全くありませんでした。

・花は春先のように枝全体に咲くのではなく、ちらほらと咲いています。


・春の桜は花の後に葉が出てきますが、秋の桜は花と葉が同時に見られます。


9月26日に我が家の秋に咲いたリンゴの開花をご紹介しましたが、今年の異常気象は桜まで秋に咲かせたようです。




世界遺産「薬師寺」(その2)

2010-10-18 | 旅行
昨日に続き、世界遺産「薬師寺」の2回目をご紹介します。

薬師寺には国宝の伽藍や仏像がたくさんあります。
まず、国宝の「東院堂」です。

「東院堂(国宝)」
東院堂は、養老年間(717~724)に吉備内親王(きびないしんのう)が父の代43代元明天皇(げんめいてんのう)の冥福を祈り、建立したものです。
奈良時代は現在地の東側に建てられていましたが、天禄4年(973)の火災で焼失しました。
現在の建物は正面7間、側面4間の入母屋造本瓦葺で、弘安8年(1285)に南向きで再建されましたが、享保18年(1733)に西向きに変えられたそうです。
高い基檀の上に建っているのは、水害・湿気を避けるためであり、鎌倉時代後期の和様仏堂の好例だそうです。
堂内には、白鳳仏を代表する国宝「 聖観世音菩薩」が安置され、その四方は鎌倉時代の四天王像が守護しています。

・国宝の東院堂です。


「回廊」
回廊は、藤原京薬師寺では単廊であったとされていますが、平城京薬師寺では複廊と呼ばれる2重構造になっているのが特徴です。現在は第三期までの復興工事が完了しているそうです。


「東塔(国宝)」
東塔は本来お釈迦様のお墓を意味するそうです。インドで梵語のストゥーパが音訳されて卒塔婆(そとうば)となり、それが塔婆、更には塔と表現されるようになりました。
お釈迦様のご遺骨「仏舎利」(ぶっしゃり)を埋葬して盛り土をしたものが原型です。その塔婆を遠くからでも拝めるように、また尊敬の気持ちから、より高い台の上にお祀りするようになったと説明書きにはありました。

薬師寺の東塔は一見六重に見えますが、実は三重の塔だそうです。これは各層に裳階[もこし]と言われる小さい屋根があるためで、この大小の屋根の重なりが律動的な美しさをかもし出し、「凍れる音楽」という愛称で親しまれているそうです。
塔の上層部を相輪[そうりん]といいます。その更に上部に尊い塔が火災にあわぬようにとの願いをこめて、水煙が祀られています。
この東塔は、薬師寺で唯一創建当時より現存している建物で、1300年の悠久の時を重ねてきた歴史をその姿から感じられるといわれています。

・東塔です。六重に見えますが、三重塔です。


「西塔」
西塔は昭和56年(1981)に復興されました。
塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青色(あおいろ)」、扉や柱に使われている色を「丹色(にいろ:赤)」と呼び、万葉集の一節に

  「あをによし 寧樂(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の 薫(にお)ふがごとく 今盛りなり」  小野老(おののおゆ) 万葉集 巻3ー328
    訳:青丹(あおに)も美しい奈良の都は、咲きさかる花の輝くように、今盛りである。   

と歌われています。
「青丹(あおに)良し」とは奈良の枕ことばを意味し、この歌は当時の平城京の華やかさを表現する意味が込められています。
そして、東塔と比較すると、その鮮やかな色に目を奪われますが、色はもちろん、連子窓の有無や屋根の反り、基檀の高さ等、東塔との違いが多く見られます。

・青丹(あおに)の色彩が鮮やかな西塔です。


・西塔の内部です。心柱のを背にして四面には仏像が安置されています。


「玄奘三蔵[げんじょうさんぞう]院伽藍」
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう:600または602~664)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶です。
17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰った経典の翻訳に専念し、その数は1335巻に及んでいます。
玄奘三蔵の最も究めたかった事は、「瑜伽唯識(ゆがゆいしき)」の教えであり、その教えの流れを継承している宗派が法相宗[ほっそうしゅう]だそうです。現在、薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たります。

・玄奘三蔵[げんじょうさんぞう]院伽藍です。


説明書きによれば、昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見し、その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨され、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安されました。
薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。
平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にお祀りしています。



世界遺産「薬師寺」(その1)

2010-10-17 | 旅行
一昨日ご紹介しました「唐招提寺」から徒歩で10分ほどのところに薬師寺があります。この薬師寺も唐招提寺や東大寺等とともに”古都奈良の文化財”として1998年に世界遺産に登録されているお寺の一つです。
「平城遷都1300年祭」に行った帰りに立ち寄ってきましたので、今日と明日はこの薬師寺をご紹介します。

・世界遺産に登録されていることを示す石碑です。


薬師寺は「法相宗(ほっそうしゅう)」の大本山です。
縁起によれば、薬師寺は天武(てんむ)天皇により発願(ほつがん:680年)、持統(じとう)天皇によって本尊開眼(かいげん:697年)、更に文武(もんむ)天皇の御代(みよ)に至り、飛鳥の地において堂宇(どうう)の完成を見ました。その後、平城遷都(710年)に伴い、718年に現在地に移されたそうです。

(参考)
堂宇とは、堂の軒のことで、お堂や殿堂のことを指します。「宇」は軒の意味です。

・「興樂門」です。 唐招提寺から歩いてくると、この門から薬師寺に入ることになります。


「金堂」
薬師寺縁起によれば、金堂は二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で各層に裳階(もこし)をつけた美しい堂で、龍宮造りと呼ばれています。
金堂は享禄元年(1528)この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、西塔などと共に焼け落ちました。その後、豊臣家が金堂の仮堂を建て、本格的な金堂の再建に取りかかる筈でしたが、豊臣家滅亡などの事情で400年近く仮堂のままの状態が続いていました。
昭和42年(1967)に高田好胤師が晋山し、百万巻写経勧進による金堂再建を提唱して全国に写経勧進に歩き、その結果、昭和46年(1971)金堂の起工式を行い、そして昭和51年(1976)4月に白鳳時代様式の本格的な金堂として復興しました。
金堂の再建は歴代の薬師寺住職にとって悲願中の悲願だったようです。

(参考)
白鳳時代とは、日本文化史、特に美術史の時代区分の一つです。飛鳥時代と天平時代の中間で、7世紀後半から8世紀初頭までの年代を言います。

・龍宮造りと呼ばれている、復元された美しい金堂です。


「大講堂」
大講堂は正面41m、奥行き20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物です。
講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためだそうです。
大講堂のご本尊には弥勒三尊像(白鳳時代:重要文化財)、後堂には仏足石・仏足跡歌碑(国宝・天平時代)が安置されています。仏足石の両脇には釈迦十大弟子も祀られています。

・金堂の北側に建っている大講堂です。


「銅鐘」
・重要文化財に指定されている銅鐘(梵鐘)です。


「中門」
南門を入ると中門があります。
中門は昭和59年(1984)に西塔に引き続き復興され、そして、平成3年(1991)には二天王像も復元されました。
中門の右側には多聞天像が、左側には持国天像が仁王立ちとなって周囲を威圧しています。

・中門です。


「二天王立像(多聞天・持国天)」
享禄元年(1582)の兵火により中門とともに焼失した二天王像は平成3年(1991)に復元復興されました。
この仁王像は発掘調査によって裸形ではなく、武装した二天王像と言うことが判明し、中国西安大雁塔の門垣にある線彫の仁王像や法隆寺の橘夫人厨子の扉絵などを参考にしたそうです。

金剛力士像は仁王とも呼ばれ、一般に仏法を守護する一対の力士のことを指しますが、本来正しくは執金剛(しつこんごう)、或いは密迹(みっしゃ)金剛と呼ばれる単身の守護神のことだそうです。これが次第に門や本尊の左右にあらわされるに及んで、阿吽一対となり、次第に二王あるいは仁王と呼ばれるようになったそうです。

・多聞天像(毘沙門天の別称)です。


・持国天王像です。





秋の七草(その3)「フジバカマ(藤袴)」

2010-10-16 | 
今月7日以来の秋の七草シリーズです。今日はその3回目として「フジバカマ(藤袴)」をご紹介します。

「フジバカマ(藤袴)」はキク科フジバカマ属の多年生植物で、原産地は中国といわれています。
日本には、奈良時代に香料として唐から渡来し、その後、野生化して日本各地の河原などに群生していましたが、現在ではその数を減らし、環境省の準絶滅危惧種に指定されています。

・開きかけたフジバカマの花です。


フジバカマ(藤袴)の学名はEupatorium fortunei(  ユーパトリアム  フォーチュン)と言い、 Eupatorium(ユーパトリアム)は、紀元前1世紀の小アジア地方の「ユーバトール王」の名前にちなんだものです。
また、fortunei(フォーチュン)は植物採集家のフォーチュンさんの名前だそうです。

(参考)
小アジアとは、別称アナトリア地方とも言われ、地中海とエーゲ海、黒海に挟まれた西アジアの半島地域。現在のアジア・トルコの大部分の地域を言います。  

・開花したフジバカマです。 


藤袴は10月~11月にかけて小さなピンク色の花をたくさん咲かせます。
名前の由来は、花の色が藤色で、花弁の形が袴に似ているところからつけられたといわれています

・畑に植えているフジバカマです。


藤袴は、生木には香りはありませんが、刈り取った茎葉を半乾きの状態にすると、桜餅のような甘い香りがします。
中国では花の一枝を女の子の簪(かんざし)にしたり、香り袋として身につけていたようです。
日本でも、平安時代の女性はこれを干した茎や葉っぱを洗髪に利用したり、香り袋に入れて十二単にしのばせたりしたそうです。


薬草としての藤袴」
蕾をつけた藤袴を採取し、2~3日干して乾燥させたものが生薬名の蘭草(らんそう)と言われています。
それを煎じたものを、1日数回お茶代わりに飲むと糖尿病の予防に有効といわれています。
また、適量の蘭草(らんそう)を布袋に入れて、鍋などで煮出してから風呂に入れて入浴すれば、入浴剤として保温、肩こり、神経痛に有効といわれ、皮膚のかゆみがあれば布袋でこすると効果があるそうです




世界遺産「唐招提寺」(その2)

2010-10-15 | 旅行
昨日は、チリ鉱山事故で地下に閉じ込められていた33名の作業員全員の救出が無事完了し、チリ国民は勿論、世界中の人たちが歓喜しました。
本当によかったと思います。
この後は、70日にも及ぶ地下生活から救出された作業員の方に対して十分なる心のケアを行い、作業員の方たちが一日も早く元の生活に戻れる事をお祈り申し上げます。

さて、今日は、昨日書く予定だった世界遺産「唐招提寺」の2回目をご紹介します。

「唐招提寺の講堂」
この講堂は入母屋造り、本瓦葺で、正面は9間、側面は4間の建物で国宝に指定されています。
鑑真和上(かんじんわじょう)が唐招提寺を創建するにあたり平城宮の東朝集殿を朝廷より賜って移築したもので、平城宮唯一の宮殿建築の遺構として極めて重要なものだそうです。
堂内にはご本尊の阿弥陀如来座像(鎌倉時代の作、木造)と奈良時代の持国天、増長天の二天も安置されています。(ご本尊始め、いずれも重要文化財です)

・国宝の講堂です。


「鼓楼(ころう)」
鼓楼は鎌倉時代に再建された後、西側の対称的位置に建っている鐘楼に対し「鼓楼」と呼ばれるようになりましたが、この建物には太鼓はないそうです。
また、1階に鑑真和上将来の三千粒の仏舎利を安置していることから「舎利殿」とも称されているようです。

国宝の鼓楼(ころう)と講堂です。


「東室・礼堂」
鼓楼の後ろ側、横に長い建物の中央に通路があり、それより北側(左側)10間分が東室、南側(右側)8間分は仏堂となり、隣りの鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂として礼堂(らいどう)と呼ばれています。礼堂内には釈迦如来立像と日供舎利塔が安置されています。
この建物は鎌倉時代に建てられた入母屋造り、本瓦葺で重要文化財に指定されています。
従来は僧侶が起居した僧房だったようです。

・中央手前が鼓楼、奥の長い建物が「東室・礼堂」です。


「御影堂」
元興福寺別当一乗院の宸殿と殿上の遺構で、昭和38年に移築復元して鑑真和上座像(国宝)を納め、「御影堂」としたものです。
鑑真和上座像は、伝承によれば鑑真の弟子の忍基が、唐招提寺の講堂の梁が折れる夢を見て、師僧の死去が間近いことを知って造らせたものと言われています。

・御影堂の玄関です。


「戒壇」
現在は壇の上に仏塔が置かれているだけですが、この戒壇が唐招提寺の特色をよく表す場所と言われています。
戒壇とは、出家者が正式の僧となるための受戒の儀式を行う場所です。
この戒壇は、創建当時からあったとする説や、鑑真和上の生前にはなく、鎌倉時代に建てられたとする説があるようです。いずれにしても、今も正式な受戒の儀式が行われている戒壇は、鑑真の志を最もよく表した場所と言われています。

・戒壇です





チリ鉱山事故 作業員奇跡の救出

2010-10-14 | 時事
今日は世界遺産「唐招提寺」の2回目をご紹介する予定でしたが、昨日、南米チリから世界が歓喜する大変うれしいニュースがありましたので、急きょ変更させていただきます。

南米チリの鉱山で起きた落盤事故で、地下700メートルに閉じ込められた33人の作業員の救出作業が日本時間の昨日13日午前11時20分頃に始まり、最初の作業員が日本時間の午後0時10分に地上に引き上げられ、救出用のカプセルから降りて無事、救出されました。
69日ぶりに地上に出てきた作業員は、家族、同僚、チリ大統領ら待ち受けていた人々と抱き合って喜んでいました。
このニュースはチリ国内は勿論、世界格国のメディアが報じており、世界中で歓喜の渦が巻いていました。
勿論、私もテレビ中継を見ていて思わず目頭が熱くなりました。

最初に救出されたのは、フロレンシオ・アバロスさん(31)だそうです。カプセルから出たアバロスさんは、地上の救助チームの人たちや家族と抱き合ったり、握手をしたりして喜びを表していました。
今回の落盤事故では、33人の作業員が地下700メートルの劣悪な環境の中に2か月余りにわたって閉じ込められていましたが、救出用の穴が今月9日に貫通したことから、日本時間の昨日朝から救出に向けた準備が進められてきました。
救出の順番は、不測の事態にも対応できるよう、鉱山の知識や経験が豊富な作業員をまず引き上げ、その後、体調の悪い作業員を、そして最後に元気な作業員を救出することになっています。
1人を地上に引き上げるのにおよそ1時間かかるということで全員を救出するまでに2日ほどかかるとみられていましたが、今朝の報道では予定より早く全員の救出ができる見込みのようです。

・1人目の作業員のフロレンシオ・アバロスさんが無事に地上に生還し、チリのピネェラ大統領(右)とかたく抱き合って喜びました。(産経ニュースより)


救出作業ではまず、掘削した深さ約620メートル、直径70センチの縦穴に、救助隊員が入った長さ約4メートル、重さ約450キロのカプセル(フェニックス:不死鳥)を挿入します。
地下に降りた救助隊員は、作業員33人のうち気力、体力ともに最も充実していると判断された人を最初にカプセルに乗せました。その人の名前がフロレンシオ・アバロス氏(31)でした。
彼は全身を外気や日光から完全に保護する特別な服を着てカプセルに乗り、約20分掛けて地上に到着しました。
この後も救出活動は続けられています。
今朝のテレビニュースによれば、午前7時時点で26人が救出されたそうです。救出作業は予定より早く進んでおり、このままのペースでいけば日本時間の今日昼ごろまでには全員救出できる見込みとのことです。

報道によれば、チリの掘削技術は世界最高レベルのものだそうです。
今回の救出については、当初の見込みでは年末のクリスマス頃と言われていました。しかし、その救出が2ヶ月以上も早まり、更に、33人全員の救出には最大48時間ほど必要と言われていたものが、1日ほどで終了する順調さの背景には、世界最高レベルの掘削技術と、チリ国民の一丸となった救出への協力、そして願いや執念が通じたように思います。

日本時間の昼過ぎに全員救出の嬉しいニュースが聞けることを切望したいと思います。


世界遺産「唐招提寺」(その1)

2010-10-13 | 旅行
昨日まで3回にわたって「平城宮遷都1300年祭」の平城宮跡をご紹介しましたが、今日は、この平城宮跡とともに世界遺産に登録されている「唐招提寺」をご紹介します。
唐招提寺は東大寺を始め、9箇所の寺院、神社等とともに”古都奈良の文化財”として1998年に日本で9件目の世界遺産に登録されているお寺です。

・世界遺産に登録されている事を示す石碑です。


唐招提寺は、鑑真大和上が創建したお寺で、南都六宗の一つである律宗(りっしゅう)の総本山です。
パンフレットによれば、多くの苦難の末、来日した鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、759年に戒律を学ぶ人たちのために修行の道場を開きました。
この道場は「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まり、当初は講堂や経蔵、宝蔵があるだけでした。
金堂は8世紀後半に鑑真和上の弟子の一人である如宝の尽力により完成したと言われています。
現在の金堂、講堂は奈良時代に建立された天平の息吹を伝える貴重な伽藍となっているそうです。

(参考)
・南都六宗(なんとろくしゅう)とは、奈良時代における仏教の宗派で、三論宗(さんろんしゅう)、法相宗(ほっそうしゅう)、華厳宗(けごんしゅう)、律宗(りっしゅう)、成実宗(じょうじつしゅう)、倶舎宗(くしゃしゅう)の六宗を言います。


「金堂」
ご本尊は像高3mに及ぶ盧舎那仏(るしゃなぶつ:大仏:国宝)で中央に鎮座しています。
ご本尊の東側には薬師如来立像(国宝)が、西側には十一面千手観音菩薩立像(国宝)が配されており、ご本尊の脇士には等身の梵天・帝釈天立像(木造・国宝)が従い、須弥壇(しゅみだん:仏像を安置する壇)の四隅には四天王立像(木造・国宝)が諸尊を守護しています。

・国宝の金堂です。


・鐘楼です。この鐘楼は平安時代の作と言われており、重要文化財となっています。


・国宝の宝蔵です。唐招提寺創建に合わせて建立されたと言われている建物で、校倉造り、寄棟造りとなっています。 なお、校倉とは、部材を横に組んで壁を作った倉のことをいいます。
 





・国宝の経蔵です。唐招提寺創建より以前にあった新田部(にたべ)親王邸の米倉を改造したものと言われており、日本最古の校倉です。



・醍醐井戸です。
この井戸は八角形をした井戸で鑑真和上がお寺を創建した当初に掘ったと言われています。”最良の味”の水であることから「醍醐井戸」と呼ばれたそうです。



明日は唐招提寺の2回目として講堂他をご紹介します。



平城遷都1300年祭ー平城宮跡(その3)

2010-10-12 | 旅行
今日は平城遷都1300年祭の3回目として平城宮跡にそびえる大極殿の内部と高御座(たかみくら)をご紹介します。

この高御座(たかみくら)は大極殿の機能や広さを体感できるように、大正天皇の即位の際に作られた高御座を基本に製作された実物大の模型だそうです。
構造は三層の黒塗り継壇の上に神輿のような八角形の黒塗り屋根を据え、大鳳、小鳳、鏡、御座などが飾られています。
高御座は、天皇が着座する玉座(ぎょくざ)で、大極殿または紫宸殿に安置し、即位や朝賀などの大礼の際に用いられます。

・実物大に作られている高御座(たかみくら)で、正面からの眺めです。


・高御座が置かれている大極殿の内部です。


・高御座の上部には鳳凰(ほうおう)の装飾が設置されています。


・八角形の屋根の角にも鳳凰の装飾が設置されています。


・大極殿の内部です。
 柱の上の東西南北の小壁には彩色(壁画)が施されており、その画題は四神並びに十二支と推定され、四神は各面の中央の束を挟んで対に描かれているそうです。これも上村淳之画伯によって描かれています。


・支輪板(しりんいた)と「小壁彩色」です。支輪板(しりんいた)には蓮華を図案化した彩色が施されており、小壁彩色には十二支の動物が描かれています。
 なお、支輪板(しりんいた)とは、折上天井(おりあげてんじょう)の斜めに立ち上がる部分です。


・身舎天井板と支輪板の説明文です。


天井は身舎(もや)の全体にわたり高く折上げられて設けられています。その天井は「天井彩色」と言われ、格間(ごうま)には蓮華文(れんげもん)が、支輪板(しりんいた)には蓮華を図案化した彩色が施されています。

・折上天井(おりあげてんじょう)と支輪板(しりんいた)です。支輪は身舎(もや)の天井を斜めに折り上げる部分です。


・天井の格間(ごうま)には蓮華文(れんげもん)が描かれています。この文様も上村淳之画伯によって原画が描かれたそうです。