らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「うんとも すんとも」の語源

2013-01-21 | 雑学

何ら応答のないことをを「うんとも すんとも」と言いますよね。
今日はこの言葉の語源を調べました。

「うんとも すんとも」の「うん」は承諾の他、鼻息の音や唸り声を表す擬音語として用いられ、「すん」は「うん」に語呂を合わせたもので、同じく鼻から出す音と考えられています。
つまり「うんともすんとも言わない」は、息さえ発しない意味から、一言も言わない意味になったと考えられているそうです。

また一説には、「うんとも すんとも」の語源は「ウンスンカルタ」の「ウン」「スン」であるとも言われています。
「ウンスンカルタ」は元禄の終わりころに考案されたもので、ポルトガル語で「ウン」が「一」、「スン」が最高点を意味しているそうですが、その「ウンスンカルタ」が「天正かるた」の流行に押されて消えていったことから「うんともすんとも言わなくなった」と言う説もあります。
更に、「ウンスンカルタ」に熱中しすぎて無口になることから、と言った説もあるようです。

言葉の成りたちは兎も角、「うんともすんとも言わない」ことは、相手に大変失礼になりますので、十分注意しましょうね。


一簣功(いっきのこう)

2013-01-20 | 時事

昨日、第48代横綱大鵬の納谷幸喜さんが72歳で亡くなりました
大鵬さんと言えば、同じく名横綱の柏戸と「柏鵬時代」と呼ばれる黄金期を築き、20歳5カ月で幕内優勝するなど数々の最年少記録を塗り替えて、昭和36年秋場所後に柏戸とそろって横綱に推挙されました。
この時の年齢21歳3カ月は、当時の最年少昇進記録でした。

「剛の柏戸」に対し、「柔の大鵬」といわれ、得意の左四つになってからジワジワと相手を追い詰める安定した取り口で、多くの記録を作り、幕内優勝32回、2度の6連覇、45連勝など相撲史に残る大記録を次々に打ち立て、双葉山とともに「昭和の大横綱」と評されました。
また、当時の子供たちに人気のある代名詞として「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉ができ、広く国民に親しまれた横綱でした。
心からご冥福をお祈り致します。

折しも、現在、大相撲初場所が行われていますが、昨日の正面土俵の解説者、元横綱三重ノ海の武蔵川親方が、先代親方から贈られたと言う『一簣功(いっきのこう)』について話されていました。

これは「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」という故語からの引用で、「苦労の末に晩年に横綱になったが、これで安心せずもう一花咲かせてみせよ」という想いが込められているのだそうです。

「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」の意味は、高い山を築くのに、最後のもっこ1杯の土が足りないために完成しない。
このことから、長い間の努力も最後の少しの過失から駄目になってしまうことを例えたものです。(出典は中国:書経 旅から)
なお、九仞(きゅうじん)は両手を広げた長さで、非常に高いこと、簣(き)は土を運ぶ篭のもっこのことで、虧(か)は欠けると同じで、損なうことです。

この解説は、稀勢の里×豪栄道の取り組みの後に話していたもので、両者ともに期待されている力士であるにも拘らず詰めが甘いことを言っていたようでした。
モンゴル勢が土俵を席巻(せっけん)している現在の大相撲ですが、期待されている日本人力士の一層の奮起を促し、一日も早い日本人横綱の誕生が待たれるところです。


「おくびにも出さない」語源

2013-01-19 | 雑学

世間には口の軽い人もいれば、固い人もいます。
自分の意図が相手に分からないように、無表情な顔をするポーカーフェースの人もいます。
ある物事を深く秘して少しも口に出して言わないことを「おくびにも出さない」と言いますが、今日はこの慣用句の語源を調べました。

「おくびにも出さない」は、「おくびにも見せない」や「おくびにも立てない」とも言い、物事を深く隠して、決して口に出さず、それらしい様子(素振り)も見せないことを言います。
「おくび」とは、胃(腹)の中に溜まったガスが口から外に出る「ゲップ」のことであり、この事から腹の中にあるものを出さないように、心に秘めたことを口(言葉)に出さない(表に出さない)ことに喩えているものです。

この『おくび』は漢字では「噯」で、「口」+「愛」と書きます。
「愛」の漢字は心が切なく胸がつまって足も進まないことを表し、それに口偏がついて、喉がつまり胸がいっぱいになって思わず息が出てしまうことであり、即ち、「げっぷ」のことを言っているのだそうです。

昔、現役の頃、営業で得意先回りをしていましたが、真意を明かさないこのような担当者に苦労したことを思い出します。


諺「鼻毛をよむ」

2013-01-18 | 雑学

「鼻毛をよむ」と言う諺をご存知でしょうか?
この諺は江戸時代から使われているもので、その意味は、女が自分に惚れ込んでいる男の弱みにつけ込み、自由に操ることです。
江戸時代のことわざ集『諺臍の宿替(ことわざへそのやどかえ)』に「鼻毛よむ人」があって、女性が男性に「おまえさんの眉毛は読んでいるのに、まだ鼻毛は読んでいないので、一度読ましておくれ」という鼻毛を読む個所が書かれているそうです。
『眉毛を読む』は、【心の中を見透かすこと】ですが、さらに、隠れているその鼻毛まで読ませて!という内容なのだということです。

「鼻毛を比喩した言葉」
「鼻毛」は、文字通りの意味である「鼻の穴の毛」以外にも、女にうつつをぬかすこと、あるいは間抜けをあらわす比喩の言葉としても用いられています。
例えば、 ・鼻毛が長いは、
             女の色香に迷っているさま。
      ・鼻毛を伸ばす、鼻毛が伸びるは、
             女に甘く、でれでれしている様。「鼻の下を伸ばす」に近い表現です。
      ・鼻毛を読む、鼻毛を数えるは、
             女が自分に溺れている男のだらしない様を見抜いて、思うままにもてあそぶこと。
      ・鼻毛で蜻蛉(とんぼ)を釣るは、
             鼻毛を長く伸ばしている例えの他に、「阿呆の鼻毛で蜻蛉をつなぐ」などのように阿呆を強調する表現にもなっています。
      ・鼻毛を抜くは、
             文字通りの意味の他に、「生き馬の目を抜く」と似た意味で他者を出し抜くことを指すこともあります。

「鼻毛に纏わるエピソード」
鼻毛に纏わるエピソードには次のようなものがあります。
・夏目漱石は、鼻毛を抜いて原稿用紙に植え込む癖があったそうです。
 この鼻毛の生えた書き損じの原稿は、漱石の弟子の一人である内田百が保管していましたが、第二次世界大戦中に空襲で焼失してしまった為現存していないそうです。
・加賀藩三代目当主の前田利常は、加賀百万石を徳川幕府によるお取り潰しから護るために、自分に謀反の疑いがかけられた時、わざと鼻毛を伸ばしてバカ殿を装ったと
 言われています。

 世の男性の皆さん、昔から鼻の下が長い顔つきの人は好色であるとされていることから、鼻の下を引き締め、鼻毛を読まれないように気をつけたいものですね。


脳震盪を起こしたメジロ

2013-01-17 | 地元紹介

一昨日、メジロが我が家の窓ガラスに衝突して脳震盪を起こすと言うハプニングがありました。
今日は非常に珍しいこの出来事をご紹介します。

昼頃、いつものようにチロリアンランプの蜜を啄んでいる二羽のメジロをウォッチングしました。
その後、テレビに目を移してニュースを見ていると突然、コーンと言う音がしました。
何の音かと思って窓を開けて見ると、メジロが脳震盪を起こして、あおむけになって震えているではありませんか。
このままにしておくと寒さと野良猫による命の危険があると判断し、介抱することにしました。
早速、家内が拾い上げてみましたが、状態は余りよくなく、開いていた目は次第に閉じ、ぐったりとなったので、“これはダメかな”と思いながらも、両手のぬくもりで包んでやり、暫くして手のひらで水道水を呑ませると1~2滴飲んでくれました。

水を飲んだ後、10分ほどすると右目が開いてきましたが、まだ意識がはっきりとしないようであり、手のひらでじっとしていました。(下の画像です)


それから5分ほど後に手から飛び降りたので、窓を開けてやると2mほど先にあるフェンスまで何とか飛んで行きました。

・かろうじてフェンスにつかまっている状態です。


しかし、フェンスにつかまるのが精いっぱいといった感じであり、すぐに頭を後方にだらりと下げた状態で10分ほどじっとしていました。



その後、大分回復してきたのか? 、フェンスにぶら下がっていた状態から止まる姿勢になり、20分ほどこの状態で静止していました。
傍を人が通っても、車が走っても、身動きもせず、ひたすら回復を待っている様子でした。


上記から間もなく正気に戻ったようです。
目もぱっちりと開き、20~30㎝移動して体調を整えている様子でしたが、10分ほど後に飛び去りました。
この間、約1時間くらいでしたが、滅多に遭遇しない珍事を体験して感激したところです。


私たち老夫婦に毎日窓越しのバードウォッチングを楽しませてくれているメジロなので、飛べるまでに回復してくれて本当によかったと思っています。
翌日にはこのメジロかどうかは分かりませんが、二羽のメジロが飛来していつものようにチロリアンランプの蜜を啄んでいました。


薮入り

2013-01-16 | 趣味

現在では殆ど聞かなくなりましたが、昔流に言えば今日1月16日は「薮入り」です。

「薮入り」とは、元々は嫁や入り婿が1月16日と7月16日に実家に帰ることを言っていましたが、都市化の進展に伴い商家の習慣へと転じ、奉公人が主家から休暇をもらって親元などへ帰ることを言うようになりました。
1月16日を「薮入り」と言うのに対して、7月16日は「後(のち)の薮入り」と言います。

藪入りがこの日となったのは、1月15日の「小正月」と7月15日の「盆」がそれぞれ重要な祭日であり、嫁入り先・奉公先での行事を済ませた上で、実家でも行事に参加できるようにという意図だったと言われています。
この薮入りの風習は、明治になって「週」の制度が入ってからも、外国系の企業を除いて昭和初期まで残っていました。
その頃は、商家の主人が奉公人に小遣いを持たせて家に帰し、戻ってくる時は母が送ってくるといったものもあったそうです。

「藪入りの語源」
・「藪入りの語源」は、藪の深い田舎に帰るからという説の他に、
・「宿入り」(宿は生家のことで生家へ帰る)からの転訛からとする説。
・更に、父を養うために帰るからという「養父(やぶ)入り」説。
・里の藪伐り(きり)や藪焼きを手伝いに帰ったからとする説。
・郷里の遠い人が、藪林(そうりん)・寺に入って遊んだからとする説(中国の風習)、
・祭祀には野巫(やぶ)と呼ばれる陰陽師が欠かせないので、「野巫要り(やぶいり)」からとする説、
などがありますが、いずれの説かはっきりしないようです。
いずれにせよ、正月と盆は先祖の霊を祀る大切な行事があるので、里に帰して参加させるという考えから始まった風習であると思われるそうです。


敵に塩を送る

2013-01-15 | 雑学

「敵に塩を送る」という諺があります。
意味は、競い合っているライバルの弱点につけ込まず、反ってその苦境から脱出できるような援助の手を差しのべることですが、その由来は、戦国時代に長年敵対関係にあった上杉謙信が武田信玄に塩を送って助けたという故事に基づくものです。

戦国時代の1567年、武田信玄が今川氏との同盟を破棄し、東海方面への進出を企てたおころ、それに怒った今川氏は北条氏と協力し、武田領内への「塩留め」を行いました。
武田の領地は甲斐・信濃(現在の山梨・長野)で、海に面していなかったため塩を取ることが出来ず領民は苦しみました。
この事態をみて、武田の領民の苦しみを見過ごすことが出来なかったのが、信玄の好敵手である上杉謙信でした。
義を重んじる謙信は、越後から信濃へ塩を送り、武田氏とその領民を助けたと言うものです。
このことから、敵対関係にある相手でも、相手が苦しい立場にあるときには助けてあげることを「敵に塩を送る」というようになりました。

昔、日本人のテニス選手が素晴らしいスポーツマンシップを発揮して世界から称賛された逸話があります。
1920年(大正9年)、ウィンブルドン世界選手権に日本人として初出場した清水善造選手は、アメリカのビル・チルデンと準決勝で対戦しました。
世界一の名選手チルデンに対し、小柄な清水は軽やかな身のこなしで善戦しました。

清水は第1セット、第2セットをいずれも4―6のスコアで落とし、迎えた第3セットは5―2とリードしていました。
あと1点でセットをものに出来るところで、清水の球を打ち返したチルデンは足を滑らせて転倒しました。
この時、清水が逆サイドに打てばそのセットを取れるというシーンでしたが、清水はあわてて立ち上がったチルデンが返球できるよう、ゆっくりと弧を描くボールを送ったのです。
結局、このセットはジュースの連続となり、最後は13―11で清水は敗れましたが、翌日のロンドンタイムズ紙は、「清水はよく戦った。そして、スポーツマンシップがどんなものであるかを示してくれた…」と清水を絶賛したと言うものです。

92年前に清水選手が披露したスポーツマンシップは、差し詰めスポーツ界における上杉謙信と言ったところでしょうか?
この素晴らしい話は中学生の時に、“正々堂々と戦うを旨とする日本人の精神であり、誇りとすべきである”と、先生から教えてもらったことを今でもよく記憶しています。


成人年齢の引き下げについて

2013-01-14 | 時事

今年成人式を迎えた約122万人の新成人の皆さんおめでとうございます。

総務省の人口推計によると、今年1月1日時点で20歳の新成人は約122万人で、内訳は男性63万人、女性59万人だそうです。
総人口1億2747万人に占める割合は0・96%と、3年連続で1%を割り込み、ピークだった第1次ベビーブーム世代が成人を迎えた1970年の246万人に対してほぼ半減しました。

昨年2月に『成年年齢を「18歳以上」に引き下げるべきか否か?』の議論があったことをご記憶でしょうか?
日本では「精神的に未熟である」などの理由で引き下げに対する慎重論が根強く、実現するかどうかは現状は不透明な情勢となっています。
しかし、世界に目を転じると、8割以上の国々が18歳・19歳となっています。
これに対して日本と同様に20歳を成人年齢としている国は、タイ・台湾・ニュージーランドなど比較的少数で、韓国は昨年から19歳への引き下げられました。

日本で引き下げるべきと主張する背景には、日本国憲法改正の手続きを定めた「国民投票法」の成立がありました。
この法律は正式には「日本国憲法の改正手続に関する法律」と呼ばれ、2007年5月に国会で成立しました。

憲法を改正するためには「各議院の総議員3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」とされており、さらに「この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」(日本国憲法第96条第1項)と定められています。

ところが、国民投票の具体的な手続きについては憲法に明文化されておらず、それを定めるために作られたのが「国民投票法」で、その第3条には「日本国民で年齢満十八年以上の者は、国民投票の投票権を有する」と規定されているもので、選挙権を18歳に引下げて、若者層の政治参加を促すというものです。

他にも、多発する少年事件を受けて、少年法を改正して少年に対する刑罰を強化しようという「厳罰化」の動きも背景にあるようです。

世界の主流は18歳以上となっており、日本人の同年代が精神的に未熟だとは思えません。
一部の異端児を捉えて未熟と決めつけず、若い人をもっと信んじてあげようではありませんか。

安倍内閣で成人年齢引き下げを真剣に検討してもらいたいものです。


噺家と咄家

2013-01-13 | 雑学

昨日のNHK番組「バラエティー生活笑百科」では、ゲストに落語家の桂歌丸師匠が出演していました。
桂歌丸師匠と言えば、日本を代表する長寿番組である「笑点」の大喜利で司会を務めていますが、このレギュラー出演者は皆さん名だたる落語家の方ばかりです。
落語家のことを別の言い方で咄家(はなしか)と言います。
この「はなしか」を漢字では「咄家」と「噺家」を書きますが、今日はこの違いについて調べました。

先ず、「落語」のことは、元は単に「はなし」と言っていたそうです。
それが江戸時代には短い「落ち(オチ)」のある話の流行にともなって「落とし話」と呼ぶようになり、それを「落語」というようになったのは明治以降のことだそうです。

そして「落語家」のこと言う「噺家(はなしか)」と「咄家(はなしか)」の違いは
・「咄(はなし)」には、【心で感じ、思っていることがふっと口をついて出る】、「叱る」、「呼びかける」ような意味があることから、あえて言えば演技系の落語家に対して使われ、
・「噺(はなし)」には、もっとはっきりとした意思があって、【新しい話題(今でいうニュース)を伝える】という意味があることから創作系の落語家に対してつかわれるようです。

また、『大喜利』は、今は、大勢でことば遊びや珍芸、謎賭けなどを披露することをいいますが、本来は、【その日最後の出し物のこと】を言ったそうです。
この言葉は江戸末期の歌舞伎からできた言葉で、前の筋立てと関係のない1幕を付け、1日の芝居を明るく閉じるようにしたのが始まりだということです。
もとは『大切(おおぎり)』と書き、縁起を担いで『大喜利』の字が当てられたそうです。


二の舞の語源

2013-01-12 | 雑学

昨日、安倍総理は記者会見を行い、経済再生が「1丁目1番地である」と力強く述べ、補正予算13兆円、事業規模にして20.2兆円と史上最大規模となる緊急経済対策を発表し、いよいよアベノミクスが本格的に動き出しました。
市場の受け止め方も好意的であり、昨日の外国為替相場は2010年6月29日以来、2年半ぶりに89円台まで下落し、現在円安水準で推移しています。
これを受けて、日経平均株価も2011年2月11以降、1年11カ月ぶりに10800円台を回復し、終値は1万801.57円台となりました。
政権が代わって過大な期待が先行している感じもありますが、6年前の第1次安倍内閣のことがあります。
「二の舞」を舞わないように、確実に景気回復を図って欲しいと思います。

さて、今日はこの「二の舞」という言葉について調べました。
「二の舞」とは、前の人の失敗を繰り返すことを言いますが、その由来は蔵面(ぞうめん)をつけて舞う雅楽の一つ「安摩(あま)」の答舞からのようです。
安摩の答舞は二人で舞い、「安摩(あま)」に引き続いて、それを見ていた咲面(わらいめん)の老爺と腫面(はれめん)の老婆が、わざと失敗しながら安摩の舞を真似てこっけいに舞うもので、ここから人と同じ失敗をもう一度繰り返すことを言うようになりました。

なお、「二の舞」の言葉の使い方は「演じる」が正しく、「繰り返す」と使うのは繰り返しの意味が重複することから誤りであり、、更に、「二の舞を踏む」は「二の足を踏む」と混用したもであり、これも誤りです。