ラッシーママのひとりごと

仕事を辞め好きな事に一日を費やしている主婦です。

ユダヤ難民を救った男!

2024年08月17日 | 日記
台風7号は関東地方、特に千葉県が豪雨や強風で警戒するように言ってましたが
思っていたほど被害も無かったようで良かったです。


我が家の庭に「たかさごユリ」が咲いてるのですが、その高さが3メートル位あって見上げるようです。





そして街路樹の空き地では「パンパスグラス」が咲き出し、秋の気配を感じます。


 




先日の私の記事で、6000人のユダヤ人を救った、「東洋のシンドラー」とも呼ばれた外交官の杉原千畝さんの「六千人の命のビザ」の本の事を書きました・・・こちら
杉原千畝さんの事をもっと知りたくてネットで調べてる内に、杉原千畝さんより1年半も前に同じくユダヤ難民を20000人も救った樋口 希一郎さんがいる事を知りました。
海外旅行に行って感じる事は、日本人で良かったと再認識させられますが、更にこのような立派な人がいる日本に生まれて
何と素晴らしいんでしょ





「ユダヤ難民を救った男 樋口 希一郎」
外交官の杉原千畝さんの事は知れ渡ってるのに、何故、このような立派な事をした樋口 希一郎さんの事は殆どの人が知らないでいますが
それは樋口 希一郎さんは陸軍軍人で、ドイツと日本の間の国際問題となり
軍務機密として処理された為に外部に漏れなかったようです。
その証拠として、北海道石狩市に「樋口希一郎記念館」は2020年9月に開設されたばかりです。
こんな立派な方がいた事を、皆さんに知って貰いたくて記事にしました。


ナチスドイツに追われたユダヤ難民を、樋口 希一郎は軍人の域を超えた外交官的素養の逸材であり
ユダヤ難民を独断専行で救出した通称「オトポール事件」など多くの難問の中に身をさらし
勇気と決断を持って、自己の信念を貫いた将軍である。
日独伊防共協定下に起きたオトポール事件に際し、ヒトラーの恫喝に対して自己の正当性を主張して
動じる事は無かった。
相手国との外交関係への配慮から伏せられてきた為、今日まで日本人の多くは知らないできた。
ユダヤ難民について杉原千畝の「命のビザ」は世界中に知られるが、オトポール事件のついては
ナチス・ドイツから厳しい抗議を受け、軍事機密扱いとして伏せられた・・・本のはじめにから抜粋


終戦後にソ連軍が占守島を奇襲、スターリンは参戦にあたって、トルーマン米大統領に対し
日本の降伏条件として千島列島全部と、北海道北半分の占領を要求してたそうです。
八月十五日に終戦が発表され、米軍はこの日を持って戦闘を停止してるので
日本軍は戦争は終わったものと思っていた。
ところが八月十五日の当日、ソ連軍は南樺太・千島列島・その先にある北海道への侵攻作戦を発令という暴挙に出た。
トルーマン米大統領に対する要求を実現する為、実力行使に出た。


日本軍では一斉の戦闘行為を停止する、但し止むを得ざる自衛行動は許すと・・・
樋口希一郎の日本軍は、ソ連軍と激しい戦いをして、日本兵強しをソ連軍首脳部に与え
北海道北半の武力占領を思いとどまらせたそうです。
このように知れば知る程、凄い仕事をした方なのですね。
もし、北海道が占領され半分にされていたら、東西ドイツや朝鮮半島にのようになっていたかも知れませんね。
もう1冊の「アッツ島とキスカ島の戦い」は次回にね。



先日「みいやんさん人形」を送ったら、みいやんさんが独身の頃に和裁教室で羽織を縫った赤い絞り地の生地を解いて
他の生地と、可愛い靴下を送ってきてくれた。
着物を解くって面倒なのよね、ありがとうございます。
手芸の時に利用させて頂きますね。


 






コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする