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名古屋するめクラブ

~名古屋発くうみるあそぶ~

<中欧2011・2日目>ベルリンのシンボル。ブランデンブルク門。

2012年02月09日 12時12分12秒 | 旅(ヨーロッパ)

ベルリンのシンボル、

ブランデンブルク門。
(右の木はクリスマスツリー)


かつて、ベルリンは星型要塞に囲まれた城郭都市で、ブランデンブルク門は、現在も残る、

18箇所あった都城の門のひとつ。

高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11m。


東西ベルリンの境界に位置し、近・現代のベルリンの歴史を見つめてきた。

かつてはドイツ分断の象徴とされたが、

ドイツが統一された今は、「統一の象徴」となりました。





門内側、

ギリシャ神話をモチーフにしたレリーフ。




門の上には、

四頭立ての馬車に引かれた戦車に勝利の女神が乗っている彫像。

クアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリア。

旧東ベルリンを望み、向かう方向には、

パリ広場 (Pariser Platz)があります。





ナポレオンや、プロイセン軍、

ナチスや連合国軍、

いろんな歴史をたどってきたのだよねぇ。。。





門の旧東ベルリン側。





門の旧西ベルリン市街。


   


広場の中にある、要人御用達の、

ホテルアドロン、

別名ケンピンスキーホテル。


 

アメリカ大使館にフランス大使館。


  


それにしても、

ベルリンの中心で、大使館街とは思えない静けさ。





 ブランデンブルク門から東に向かい、

ウンター・デン・リンデンを過ぎると、王宮。


ブランデンブルク門は、

1989年、

べルリンの壁が崩壊後、再び門の下を通行できるようになった。

また、統合のシンボルとして、

ドイツのユーロ硬貨の裏面に彫られている。



<中欧2011・2日目>雨のベルリンフィルハーモニー。

2012年02月09日 07時17分17秒 | 旅(ヨーロッパ)

1963年竣工された歴史あるホール。

大ホールの収容人数は2,440席、

室内楽ホールは1180人。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地。

日本的に考えると、特定のオーケストラ専用のホールがあるって贅沢な話だけど、

国家や街を挙げて、文化を応援する姿勢って、

なんか文化を育てることへの高い意識を感じますね。



<中欧2011・2日目>ベルリンは雨。

2012年02月09日 07時07分07秒 | 旅(ヨーロッパ)

ヨーロッパは遠い。

丸1日移動にかかり、

実質、活動は翌日、

ベルリンからスタート。


ベルリン。

ドイツの北東部に位置する都市。



1871年にドイツ帝国が成立してから1945年の第二次世界大戦の終結までドイツ国の首都。

冷戦時代は、東西に分断され、

東ベルリンは旧東ドイツの首都、西ベルリンは事実上旧西ドイツの州の一つとなり、

1990年、東西ドイツの統一から再び首都となった。

という、日本人としてはちょっと想像しにくい歴史をもった都市。

人口は370万人。

ドイツ最大の都市であり政治の中心地。



以下ウィキぺディアより。

地方分権の歴史が長いドイツでは、金融と交通の中心地はフランクフルト、産業の中心は、
ミュンヘン、シュトゥットガルト、ケルンとされ、日本のように一極集中という状態はない。
さらに1811年まではドイツ人全体の帝都は形式的にはウィーンであり、その後も1868年までは、
ウィーンがドイツの中心と見なされていた。この年にプロイセンがオーストリアを盟主とするドイツ連邦軍を破って
これを解体することにより新統一ドイツの首都がベルリンに確定、以後、人口、経済、文化いずれも急進していく。





なるほど。

今回の旅は、ドイツからスタートして、

チェコ、スロバキア、ハンガリー、オーストリア、

と、実質6日間で5カ国を周遊?したことになるわけだけど、

もはやEU内においての国の境界線は、少なくとも観光客のレベルでは、

愛知か静岡か的なもののような感触で、

5カ国というよりか、EU圏5都市へ訪れました、

と言った方が、はるかにしっくり来る気がします。

さて、ベルリンの話。

2011年のベルリンは、寒波で数メートルの雪が降った昨年と違い、

かなりの暖冬、雪じゃなく雨です。





ベルリンのもうひとつのシンボル、テレビ塔。



トップ写真は、ベルリンのソニーセンター。



富士山型の屋根が特徴の複合施設。




ポツダム広場の再開発の目玉として建設されたが、

その後ソニーからモルガン・スタンレーに売却、

現在は、韓国が購入を検討中とのこと。


時代は変わるね。

人も、街も、資本構成も。