写真は札幌自宅からの毎朝の散歩道途中の、とある菜園。
毎年春先に農作業が始まり、夏になるとごらんのような
豊かな、生き生きとした作物の実りが楽しめます。
日本ではこういう「小さな農園・菜園」という文化がありませんが、
いまから10年くらい前から、札幌から高速を使って車で1時間ほどの栗沢町という町で、ちょうどドイツの「クラインガルテン」をまねたような「都市生活者のための菜園」が提供されています。
ドイツのクラインガルテン、っていうのは
産業革命によって、田舎から都市の工場労働者として
緑の少ない、無機的な居住環境に押し込められたひとたちに
小さな農地を提供する運動が始まって、広まったもの。
非人間的で劣悪な生活環境を、なんとかしようという運動だったのですね。
ちょっとした小屋が架けられていて、休息も取りながら一日中農作業に没頭できる。
人間にとって、土と会話しながら食の材料を得る
という営みが、もっとも初源的な人間回復なのだという考え。
ロシアにはダーチャというほぼ同様な小規模農園のシステムがあります。
経済がまったく破綻した時期のロシアで、
なぜか餓死者も発生しなかったのは、このシステムがあるから
とまで言われたことがあります。
ひるがえって、なぜ日本ではそれほどこういう考えが
広まらないのか、不思議ですよね。
確かに「貸し農園」みたいなのは、ないことはないけれど
どうもあんまり、メジャーではない。
地方から都市への人口集中が、あまりにも急激な、ここ60年くらいの
特殊的な事態だったのと、土地本位制で経済が推移してきて
土地の心理的価格が上がりすぎていた、というようなことなのでしょうかね。
でもちょっと形は違うけれど、
東北の在住スタッフに聞いたりすると
いまでも農家出身の親戚関係者は、田植えや稲刈りの時期、
かならず実家に労働奉仕しなければならない、という文化伝統があるとか。
都市に暮らす夫婦は、それぞれの実家に奉仕に行かねばならないので
田植え時期のGWとかは、遊びに行ったことがない、と聞くことがあります。(笑)
でも、そのお返しに秋には自家製の無農薬米をいただけるそうで、
つまらない遊園地で惚けているよりは
ずっと、実利もあるおはなしで、いいですよね。 ちょっと疲れるけど(笑)。
写真の菜園でも、もうすぐおいしいとうきびができそうです。
朝もぎの食味が思い出されて、たまりませんね!
結局、食欲にたどりついたお話で、恐縮です。