清水寺は京都の観光スポットでもナンバーワンの人気とか。
やはり、日本語の定型句にまでなった「清水の舞台」という
空間体験の印象深さの強烈さを表現していると思います。
京都市街から息も絶え絶えになるような坂道を登り切って、
その末に、カタルシスのように得られる眺望。
「視線の高さ」というものが、人工的なかたちで造り上げられる
1000年以上前の木造最高水準の技術で達成されたものなのですね。
自然環境を活かし、同時に技術を活かしきって、
こういう空間体験を提供した古の人々の想像力に敬服します。
この清水寺は平安時代初期、武人として位を極めた
坂上田村麻呂の創建と伝えられています。
桓武という帝は、たいへん武断的・専制的な君主たらんとした天皇だそうで、
即位儀礼では中国皇帝と同じように生け贄を斬ったそうですね。
かれの治下において、坂上田村麻呂による「蝦夷征伐」があったのです。
日本の王権は、最初、連合的な成り立ちから始まって、
徐々に天皇家による中央集権化が図られてきたのだと思いますが、
そういう古代的中央集権がきわまったような武権が桓武帝だったのだと思います。
そして、その「膨張的武権」の発露の対象として、
「まつろわぬ民」蝦夷が攻撃対象とされたのだと思います。
その最高司令官になった田村麻呂に降伏したのが、東北の首魁・アテルイ。
たぶん、お互いに戦い合ったもの同士が通じ合う信頼関係で
かれ、アテルイは京都にまでやってきたのだと思います。
しかし、京都の政治権力は、自ら降伏したアテルイを
処刑するという暴挙を行った。
そのことを深くこころに恥じたに違いない田村麻呂は、
自らの建立になる清水寺の一角に、菩提の碑を建てたのだろうと言われているのが、
写真の石碑なんですね。
清水寺は何度か、訪れていましたが、こういう歴史的事実を踏まえて
この石碑を初めて発見したワケ。
本日はちょうど、お盆のさなか。
まつろわぬ蝦夷の首魁にたいして、仏教的弔いは似合わないかも知れないけれど、
写真を見て、こんな思いをふと抱いた次第です。
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