三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

武士の自己装飾

2008年08月31日 12時08分12秒 | Weblog



本日は趣味の世界の歴史探訪です。申し訳ありません。
どうしてもこういうものから興味が離れません。
やっぱり大学で、歴史を勉強しておけば良かったかなぁ、
っていう思いを強くしているのですが、
まぁ、趣味の世界で知識を得る方が、おもしろさと言うことでは大きい(笑)。

写真は前九年合戦の様子を活写した絵巻物の一部分。
当時って、鎌倉の関東独立政権に至る「武士の成立期」といわれます。
で、見ていると「武士」という存在の自己装飾性が際だっていると思います。
甲や鎧とか、きらびやかに競っている。
この時期の戦争って、どういうものだったのか?
王朝国家の律令体制がどんどん崩壊していって、
土地の私有制が認められていったけれど、
それは、官僚機構上層部の貴族連中や、大寺社という「官許」を得られる身分層の
独占的な「うまみ」だったといえるのでしょう。
実際には自分たちが高価な農業用の鉄器を入手して
簡単には開墾できない未開拓地を収穫可能な農地にしながら、
その法的所有権を、そういう中央権力層に保全して貰うような状態だった。
身分的にはそういう権力層の現地代理人的になっていた。
で、そういう連中にとって、前九年戦争は、数少ない「恩賞」が期待できる機会だったのか?
律令体制のなかで、合法的に「土地を得る」手段だったのかも知れません。

そういう機会に自分の果たした役割を、
現地で認定する武家貴族、源氏の大将などに強烈にアピールするために
他とは違う、「印」を明確にするために、
このような装飾を施しはじめたのでしょうね。
明確な形の「自己主張性」というのが特徴ですね。
鎌倉から、リアリズムと個人(家)主義的なものが成立していった、
という説が強いと思うのですが、こういう絵でも納得できます。
馬って、こういう戦争での参加基本単位を表しているのでしょうが、
その馬にも重厚に装飾性が働いている。

軍記物での武士の装飾性表現は克明ですが、
このような理由によるものと考えると、
なんともすさまじいものだと思われますね。



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