三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

光の制御

2008年08月14日 10時28分05秒 | Weblog


西洋近代主義が導入されて、近代的な工業製品を住宅に利用するまえの段階では
ごらんのような光の制御方法が日本家屋では一般的。
というか、窓を開けるというのが大変技術的にも手間がかかっていたので、
こういう床の間空間を照らすような外光の導入のように
ハレの間に対する特別な仕掛けくらいしか、
一般庶民の住宅では窓を開ける習慣がなかったに等しい。

自由に窓を開けられるようになってから
まだ、高々70~80年程度の時間しか経っていないのでしょう。
日本家屋では、伝統的に大きな窓というのは
縁側に面した開放できる建具、というのが代替してきていた。
その「窓」からの眺望はたいていが庭を見晴らすように仕掛けられていた。

写真のようなスペースは
外光をコントロールして、窓辺にやわらかい灯り空間をもたらす。
なので、「書院」というような言い方をするのでしょうか?
たしかに書物を見るにはもっとも適したような仕掛けが得られている。
「学ぶ」というようなことへの態度が、
知らず知らずに背筋が伸びていくような環境装置とも言える。
個人的な体験というか、感覚では
こういう明かり取りの障子の桟に不思議と愛着を感じる。
じっとしていると、桟木で区切られた枠をタテ横斜めと頭の体操よろしく
いろいろに眺め回すようなことがよくある。
それが畳の組み方の連続性・規則性とあわせて、
日本人の算数能力の基本を形成していたのではないかと
根拠曖昧ながら、ずっと思ってきている次第です。どうなんだろう?

きのうは朝早くから一家でお盆の墓参り。
つかの間の夏休みに突入です。
でもことしはオリンピックで、休む間もなくあれこれの競技。
鍛え抜かれた選手たちのパフォーマンスは素晴らしいですね。
勝つこともあるけれど、残念ながら力を発揮できない選手でも
全力を発揮する様子に、つい力がこもりますね。
何もできないうちに負けてしまう選手たちに不思議と思いが募ってくる昨今。
スポーツの楽しみ方も変化してくるものなのでしょうか(笑)
がんばれニッポン!



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