先週末くらいから休暇入りという人も多いようですね。
最近は帰省、という夏休みスタイルはどうなんでしょうか?
日本って近代化がヨーロッパの国より4倍のスピードで達成されたと言われます。
その過程で農村から都市へと労働力の移動が起こり
都市への人口集中が急激に始まったのですね。
そのなかで、それまでの農本主義的な田舎社会から
都市居住の労働形態に変わって、年に数度田舎に帰るというのが
基本的な夏休みスタイルとして定着したのでしょう。
時間を短縮して、一気にこういう事態が起きたので
集中豪雨的に「民族移動」的な帰省風景というものが定着した。
しかし、そうした急変化はいまでは落ち着いてきていると思う。
集団就職で都会に移住した人々のこどもたちにとっては
その都会の家、大部分がニュータウンとして開発された団地的な街が
「ふるさと」になってきているのでしょう。
写真で見るような夏の日の日本家屋の風情というのは
もう、かなり歴史的な光景になりつつあるでしょうね(笑)。
長寿社会になって、祖父や祖母がこういう田舎に住んでいて
そこに親が帰省するのに、孫が付き合っているのかどうか、
っていうのがいまの実相に違いないでしょう。
一方で、孫たちはそういうニュータウンに「帰省」しているのかどうか、
ちょっと興味は持ちますね。
なんですが、日本再発見的に見て、こういう写真のような光景が持っていた
生活文化性の部分に強くイメージが掻き立てられます。
なんていうか、非常に開放的な野遊びの世界がこの半外部を起点として
起こっていく予感を感じさせてくれるのですね。
逆に右の壁の中には、否応なく「家」という格式的な世界がある。
それこそ、神棚や仏壇、家族の座る位置も決められているような世界。
その「結界」としてこういう半外部空間があった。
こういう部分に板敷き、スノコ状のものが据えられているというのは
機能性がきわめて高い。
それこそ、どろんこになって野山を駆け回ってきて
こういう場所で足の泥を洗い流して
家に「上がる」というのが一般的な習慣。
先日も親類が集まる機会があったけれど
10代のこどもたちは、そういう食事時でも
膝元に置いたケータイに目を落としたりしていて
会話の糸口もなかなか求めることができなくなっている。
こどもたちの「遊び」の世界がまったく世代わりしているのが現実。
いまではアクティブな遊びの世界の部分が消えつつあり、
こういう中間的領域の意味合いが民族的な記憶から失われるのかも知れませんね。
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