東京の地下鉄に乗っていたときに見た車内広告。
夕張は破綻自治体としてその名を全国に知らしめましたが、
必死の模索が続いているようです。
小泉流構造改革というものは、外交的には徹底した「対米従属」が基本であり、
また、日本をアメリカ的な「標準化」の方向にもっていくものだったと言えるでしょう。
その結果として、というかそれまでの流れをさらに加速するものとして
政策は機能して、地方の画一化、過疎化の加速は
どんどんと進んでいったのだと思います。
いま、住宅の外形的な姿は全国どこでも画一化が進み、
街並みからも「個性」が失われていっていると思います。
先日触れた伊東豊雄さんの釜石の復興計画での発言などを聞いていると、
そうしたことへの東京側からの反省のようなものは少し出てきているのでしょうか?
しかし、それはひとり建築だけが負うべきテーマではないように思います。
むしろ問題なのは、東北復興のテーマに際して
「世界的な建築家」という名声に単純に依拠して、
ミニ東京を全国に行き渡らせたひとびとが、地方性というテーマをも
リードしてきている現実、そうならざるを得ないことの方が問題だと思う。
いわば地方性すら、東京が仕切っていって本当にいいのか、
そういう論議がなかなか表出してこない。
もちろん、これまでの「地方の独自性」というものにパワーがなく、
全国的、あるいは全世界的にパンチがないから、
というように思われてならない。
しかし、そういう選択の末にどのような地域性が残っていくのだろうか?
日本社会は抜けがたく「貴種流離譚」が好きな国民性であり、
今回の震災復興でも、そうした構図が見えていることは
きわめて複雑な心境になります。
単純に、地域復興計画の実際は東京のシンクタンク企業が圧倒的に受注しているのが
現実なのですね。
東北地元の設計者が応募しても、そういうルートにはなかなか敵わない。
被災地域が広域だということが、このような流れを生んでいるのか。
北海道の一地域自治体が
東京でこのようにアピールをする、あるいはしなければならない、
という現実の中に、いろいろ考えなければならないことが
たくさんあると思わされた次第です。