ここのところ、夜の会合機会がありまして、
って、新年会シーズンというところですね。
でもわたしは、あんまりお酒は飲まないワケで、
帰りはまだ地下鉄のある時間に帰ることが多い。
で、先日、札幌地下街を駅まで歩いている途中に、東北各県の観光ポスターに遭遇。
そのなかに「秋田美人」というキャッチの写真を発見。
まぁ、観光用の写真なので、撮影して取り上げさせていただきます。
「秋田美人」の研究をしているという秋田の大学の先生もいるのですが、
この写真、どういうモデル選定でこういう「秋田美人」になったものか、
その大学の先生の説に添ったようなモデル選定であります。
というのは、秋田美人の肌の色素を分析すると、
黒海周辺地域、コーカサス地域の人種的特徴と似通っているといわれているのです。
この写真を見ると、どうもそういった説を踏まえている気がします。
なにか、日本人離れした肌の白さが伝わってくる。
秋田は、日本国家の北方の玄関口として機能していた歴史があります。
奈良から平安にかけて、北方交易の中心であった。
王朝国家が建設していた「秋田城」~江戸期に建てられた武家の城ではない~
では、迎賓用の「水洗トイレ」までしつらえられていた。
異国からの客人への対応の施設だったのですね。
そうすると、その対応した外つ国人とは、どんな人々であったのか?
やはり、北東アジアのアムール川河口周辺から海伝いに南下する人たちが考えられる。
そしてその先には、騎馬民族の人々が広いユーラシア大陸を
放牧を主要な生業として西に東に移動する世界がある。
その西の果てに、コーカサス地方がある。
そういう交易の世界が広く展開していたことは想像に難くない。
まぁ、そんな脈絡から、こうした写真のような雰囲気が
リアリティを持ったロマンとして感じられてくるのですね。
しばし、足を止めてしまって見惚れていた
秋田美人の顛末でありました。