三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

出雲大社で感じたこと

2012年06月10日 06時00分51秒 | Weblog

「縁結び」ということと、注連縄というのは
どういった関係にあるのか、
それこそ神道でも研究しなければならないだろうけれど、
ヤマト朝廷以前の連合的国家「倭国」において
多くの「クニ」の「神」たちが集まって安全保障体制を相互に結んだことは
どうも確からしく思われます。出雲に来ての直感ですが・・・。
上の写真は、出雲大社神楽殿の大注連縄。
全重量が5.5トンもあるそうです。
そういえば、「さざれ石」を目にしなかったのですが、
明治になって開設された北海道神宮では、さざれ石も社域に置かれています。
さざれ石とか、注連縄とか、
連合的国家というこの国の権力形態をよく表現しているのではないかと思います。
鎌倉に「封建体制」を志向する権力が生まれて以降、
戦国を経て江戸の幕藩体制に至るまで、
日本という国家は、各地域のバラバラの権力構造の連合が
基本因子だったのではないかと思うのです。



で、大国主命は、
ニニギさんに「国譲り」して自らは退隠してしまう。
銅剣と銅矛がある時期に目的的に姿を消していくのは、
そういった歴史の転換点をモノとして証しているのではないか。



退隠の条件として
高い本殿建設を要求したというのは
いったいどういうことなんでしょうね。
上古には高さが96mの本殿が建っていたといわれている。
その後、何回もそれが倒れたという記録があるそうです。
現在は、この本殿、修復中でありました。
でも、警備の方が覗き穴を案内してくれて、こっそり覗かせていただきました。
バチがあたるかなぁ(笑)。




写真は、全国から出雲の神さまに捧げられた酒の数々。
よくみると、ビール各社まで奉納しており、
出雲の神さまの酒好きをほほえましく伝えてくれます。

神話のかすみに包まれて
その実体がよくわからない神さま、出雲。
しかし、尊崇が長く日本民族に伝承されてきたのには
やはり曰く因縁があり続けてきたのでしょうね。
今だ霧の中にもわっとしているわけですが、
なんとなく、親近感というか、好感を持てるなぁと思わされた神さまでした。
コメント
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