三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

お墓参り

2012年08月12日 12時11分38秒 | Weblog

本日は早朝に家を出て、お墓参りであります。
日本には、お盆の時期にご先祖様を家にお迎えしていっしょに過ごすという風習がある。
社会が育んできた民族的な慣習であって
未来に向かって続いていって欲しいなぁと思う次第ですが、
ただ、大家族制が崩壊した後、小家族制、っていうか、
核家族的な状況になってきて、
「家」という社会的存在の延命の仕方は難しくなっている。
たまたま、日本は東西冷戦の中で
アメリカの世界戦略の中で稀有な経済成長が可能になって、
その過程でそれまでの「ムラ」社会への帰属性の高い社会から
個々人単位が都会での労働者へと変身させられ、
それぞれが小さな「家」を都市周辺に建ててその「新興住宅地」の初代に
なったはずなのだけれど、しかし、故郷忘じがたく、
夏の時期には「帰省ラッシュ」というようなその両方の引き裂かれた属性を
追体験するような年中行事が繰り返されてきた。
わたし自身は、そういう社会の中では比較的に
「地域性」の側に添った生き方をしてきたように思います。
何年かは東京での単身生活をしていたけれど、
そのまま勤務先周辺での人生環境の構築という方向には進まず、
幸いにして勤務先で、生まれ故郷への転勤のチャンスがあったので、
それを生かして、故郷で仕事の独立をした。
で、「初代」としての生き方を選択してここまで生きてきた。

そんな経緯ですが、
墓参りはカミさんの方のご先祖様も、ひとつの霊園地域に納まっております。
都合3つの墓にお参りするわけですが、なにかと便利でいい。
ただ、日本の場合、長男以外の男子は家から出て行って
初代になるしか、墓として残っていく方法はない。
で、そのうち、わたしの墓はどうするか、決めなければならない。
戦前までの日本人があんまり考えなくても済んでいたような問題を
考えなければならなくなっている。
そう考えると、これから先の日本のことを見通していかなければならない。
って、大袈裟ですね(笑)。
また、わが家の息子は、どうも2つの墓を守っていくことにもなりそう。
たぶん、これから、少子高齢社会でこんな問題が
民族的な問題として浮かび上がっていくことでしょうね。
たぶん、子どもたちの世代は、いろいろ負担が増えていく。
まぁ、私たちの年代でも宗教とか墓とか無頓着な人は多いのですが、
否応なくそういった価値観が支配的になる気がいたします。



その後、カミさんの実家に寄って
菜園でたくさん成っているというインゲンを採取。
パッと見た目では発見しにくいのですが、
見つけ出すとわさわさと獲れてくる。
思わず嵌まってしまいましたが、さてこんなにたくさん、どうやって食べるか?
であります。
上の写真は、墓参りで使ったチャッカマンがえらい使いにくかったので、
その後立ち寄った100均ショップで見てみた次第。
こどもの火遊びによる事故以来、
役所主導で安全対策を製品に義務づけているようですが、
それまでのチャッカマンに比較して、たいへん使いづらくなっている。
どうも、いまの日本を象徴している事態なのでは・・・・。
コメント
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